続・のあろぐ

ゲーム、漫画、アニメで社会を豊かにしたいNoahの個人ブログ

労働市場の改善が働き方のシフトへつながっている

こんにちは。最近働き方改革の話が盛り上がってるのって、みなさんうっぷんを抱えてるからなんじゃないのかなと思っています。

今日のブログ更新では、また働き方の話をしたいと思います。

世の中「Give&Take」で成り立っている

言うまでもないことかもしれませんが、世の中はGive&Takeで成り立っています。誰かが課題を抱え、それを解決するまでのプロセスの中に、他の人からの支えがあるからこそ社会は協力で成り立っています。課題感があって、Give&Takeの構造があるからこそビジネスが成り立って経済が回っていると言えます。

課題→共有→解決のステップで社会は回っている - 続・のあろぐ

日本の働き方における問題点の1つは、このGive&Takeが崩壊していること、アンバランスなこと、ではないかなと思っています。

価値観の変化は労働市場の変化によるもの

一口にアンバランスさと言っても、おそらく、様々な視点があります。立場によっても全く問題意識が違うでしょう。例えば、いわゆる大企業で働いている場合と、中小零細企業で働いている人では抱えている課題感も、その解決方法も違うと思います。

ただ1つ言えるのは、労働市場が変化しているので、それに合わせて今までの働き方の常識というのも変わってきているのだと思います。

例えば、有効求人倍率は1.38倍と、実に25年ぶりの水準となっています。

有効求人倍率、9月は1.38倍に上昇 25年1カ月ぶり高水準 :日本経済新聞

有効求人倍率とは、簡単に言えば職を探している人一人当たり、何件の求人があるのかという指標です。1人につき、1.38件の求人があるということになります。25年前といえば、1991年。ちょうどバブル崩壊の年です。つまりバブル期のピークとなっているぐらいの状態が、労働市場に訪れています。

しかし、別に景気のほうがそれほど過熱しているという様子はありません。

vdata.nikkei.com

完全に働き方自体が変わってきていて、会社を移るということは当たり前、終身雇用制度が終わっていることで、人材の流動性が上がってきているという観点が一番強そうです。

up or out は片側の論理

ここへきて、有効求人倍率の意味合いはバブル期とはだいぶ違ってきているといえるかもしれません。なぜなら、かつて、バブル期は大企業の人々は「辞めないでその会社1社に勤め上げる」のが標準的であったので、雇用市場に職を探している人ということで出てくるケースはそこまで多くなかったと思われます。しかし、今では大企業の人材でも普通に雇用市場に出てきて、優秀な人であればもっといい条件で雇用されていくわけですから、労働市場に参加する人のタイプは全然違ってきていると思います。

そうなってくると、雇用者側は「その会社が改善しなければ辞めてしまおう」ということで、労働環境なども含めて、条件の悪い会社には人が集まらなくなり、淘汰されていくということになります。"up or out"ならぬ、"improve or out(改善しないならやめます)"が成り立つということになります。これは、極めて健全な状況といえるのではないでしょうか。今までのup or outが日本ではいびつな構造であったのは、企業に辞めさせられると次がない、という構造ゆえ、up or outが雇用側の論理だけになっていたからで、こうなってくるとimprove or outが機能するようになってくると思います。

もっとも、病気になったりケガをしたり、などで働けなくなった人への一定の保証が、今までよりもっと重要になってきます。しかし、そこをきちんとしたうえで、こういった構造になってくると、腐った会社はどんどん改善するか社員が集まらなくなるか、ということになってくると思います。

こうした構造変化は、有効求人倍率の上昇、すなわち、企業がもっと人を雇いたいと思うほどビジネスが活気づいているということをも示しています。今後、さらに景気が緩やかな回復をたどり、働き方もさらに変わってくる、かもしれませんね。

「肚落ちするか」という視点

昨日、soup stock tokyoなどを運営するスマイルズ社長の遠山正道氏のインタビューを読む機会がありました。

そこで語られていたことで印象的だったのが、「ビジネスの確信は収支計算ではなく肚落ち」ということでした。

どうしてもビジネスというと、収支計算の視点が出てきてしまいます。売上はどうなのか、コストはどうか、どれぐらい持続性があるのか。

それで黒字がたくさん出たからといって、肚落ちしなければビジネスに確信が持てることはないのかもしれません。

私は、言い換えれば「納得感」が大事なのかなと思いました。自分の中で納得して進んでいくという姿勢は、あくせく目の前の目標にだけ向かって進んでいくとどうしてもなくなりがちだったり、考える時間すら持てなかったりするものだと思うのです。その部分が曖昧になっていると、そのうち納得できない部分がムクムクと膨れ上がってくるかもしれません。あれ、今何をやってるんだっけ。これは何のためにやるんだったっけ。そうなった時に結局納得感が大事になってきてしまいます。

納得感をどう得るかということは人によって全く違う部分があるかと思います。それこそ収支計算だけで納得できるかもしれないし、人とのコミュニケーションなどを経て直感的に納得をする人もいます。こうして得た納得感をもって仕事をすると、モチベーションもわきますし、おそらくグイグイと仕事を前に進めていくことができるんだと思います。

ただ、この納得感を得るためにはある程度の余裕も必要だと感じます。先ほども書きましたが、日々の仕事に追われすぎていると、なんだかよくわからなくなってきます。時間だけでなく、お金がなくなれば働かないといけないので、お金がないなら「納得感が云々」とか言ってられないでしょう。なので、納得感をもって働くというのは最高の贅沢品なのかもしれません。

こう考えて、日本社会に即して考えてみると、いま大学生が就職をする時にどれだけ肚落ちして決めているのだろうと。大学時代は時間的には結構余裕もあるはずなので、納得感を醸成する時間はあると思いがちですが、別に将来の職業選択について真剣に悩む、というような機会があまりなければ納得感も醸成されません。

それから、会社に就職する場合はその会社が十分な情報提供を行っているかという観点もあります。働いてみて初めてわかることもあるので、大学生は働きたい会社でインターンやアルバイトをしてみるべきだと思うのですが、なかなか門戸は狭く、体験の機会がないまま就職をすることになります。

こうしたことが積み重なり、マクロで見た時にほとんどの人が「肚落ち」しないままに仕事をしているのだと思います。だからこそ長時間労働の是正だったり働き方ということが問題になってしまうのではないかと。いまの働き方や仕事の選び方に、全く肚落ちがないのでしょう。

シリコンバレーの異常性

最近スタートアップの調査などをしていると、起業家の方や専門家の方とお会いする機会があります。

そこで、かなりの割合で聞くのが、「シリコンバレー=アメリカではない」というご意見。スタートアップがガンガン生まれて、投資家がバシバシ投資をし、アドバイザーが寄り集まってどんどん大きくなっていく……いわゆる、「スタートアップエコシステム」というやつですけれども、こうしたことはアメリカ全土で行われているわけではなく、シリコンバレーの一部の特殊事例だというのです。

確かに言われてみると、スタートアップもシリコンバレー発が多いような気がしますし、もしアメリカ全土で広がっていればもっと全土でメガベンチャーが生まれていてもいいのかもしれません。

ただ、「起業するのはやっぱりシリコンバレーに限るよね」と言って、本当はニューヨークにいた人がサンフランシスコまで来て起業するのかもしれないですし、そのあたりは別に全土で広がるという必要性はないでしょう。

しかし、日本人の認識としては、「アメリカではスタートアップ環境はこう」といって、まるで米国カルチャーとしてそうであるように言う人もいるのですが、実際はそういうわけでもない、というのが自分的には新しいポイントでした。

ところで、そのシリコンバレーでも最近スタートアップへの投資額が減少しているらしいです。

Yes, startup funding really is slowing in San Francisco — Quartz

これもなかなか気になるニュースで、今までは起業するならシリコンバレーで、というところだったのが、だんだんスタートアップエコシステムが元気が無くなってきているということなのでしょうか。

とはいえ、GoogleFacebookのような大帝国が、スタートアップだったりコンセプトを高く買い上げていくという例は枚挙に暇がありません。20億ドルでFacebookが買収したOculusなんかもそうですね。でも、それは本当にスタートアップが主役かと言われると微妙で、実は主人公は買収した側のGoogleFacebookかもしれません。

スタートアップ環境が仮に減速しているとしたら、それはどういう背景で起こっているのでしょう。今後盛り返してくるのか、それともイノベーション自体がだいぶ収束してきて、再び大企業の時代となるような構造変化が起こっているのか。また、その際に起こることは何なのか。日本はどういった道筋をたどるのか。なかなか目が離せません。

課題→共有→解決のステップで社会は回っている

最近、色々と仕事をしていて思うのは、経済って「課題」→「共有」→「解決」の3つのステップで回ってるなあ、って思うのです。これをちゃんとフレームワーク化したい。今日はそんな話です。

 

課題、悩みがあったらチャンス

仕事をしていると、「最近自分の仕事の中で、こういう問題があるなあ。ここを解決すれば売り上げがもっと上がるのに/コストがもっと下がるのに」ということがよくありますよね。

すごい卑近な例で申し訳ないのですが、先日うちの職場で、自動ドアが壊れまして。ボタンを押すと開く自動ドアだったのですが、かなり強く押さないと開かなくなりました。これを放置しておくと、結構不便だしオフィスの生産性が下がってしまいます。例えばこうしたことも、ビジネス上の課題の一つになりうるわけですよね。

ほかにも、「いい製品を持っているんだけど、売上を上げるためには営業が必要だなあ」「でも、営業をフルタイムで雇うほどはいらないなあ」とか、「この部分を自動化できたら、コストが下がるのになあ」みたいなことはかなりあちこちに存在しているイメージです。

まずは「この課題を発見すること」というのが仕事の始まりになります。つまり、このステップに強い人というのは、「愚痴が多い人」や、「社会に対して不満の多い人」なのかもしれません。不満があるということは改善の余地があるということですね。ただ、自分の不満や要求だけ言っていてもはじまりませんので、当然ギブアンドテイクに仕立てていく必要はあるのですが・・・

課題を自分で解決できないなら人に解決してもらうしかない

次に「共有」のステップです。問題が生じたとき、それを自分の力だけで解決できるなら、解決すればいいわけです。それができないから問題は問題として生じている。例えば先ほど挙げた、自動ドアが壊れたという例でいうと、自動ドアを修理する人が社内にいないから問題になっています。

この時、解決する前に必ず行う動作が、「共有」でしょう。この例の場合は、自動ドアを修理する業者さんを見つけて、「自動ドアが壊れちゃったんですけど……」と共有する。そうすると、問題をその人が解決できるかどうかの判定が始まります。

思うに、昨今ビジネスが加速してきているのは、この「共有」のステップが、非常にやりやすくなってきているからなのではないか、と思います。昔だったら業者を探すのも一苦労だったかもしれませんが、今やGoogleで検索すればすぐに引っかかりますし、もっと難しい課題でも、SNSで「こういう課題を抱えているんですけど、何とかなりませんか」といえば、誰かが「それなら私ができますよ/知り合い紹介しますよ」と手を挙げてくれる。こちらも、何か解決できそうな課題があれば教えてあげる。共有のコストが、極めて低くなってきていると思われます。

共有というのはコミュニケーションのことですので、コミュニケーションが得意な人はこのステップに向いています。課題感をわかりやすく人に伝え、理解してもらう能力です。それから、仕事としてやってもらう場合は、対価を設定する必要もありますので、コスト感のある人が向いているかもしれません。

課題解決フェーズ

解決すべき問題があって、解決する人がいて、適切な対価が支払われれば、そこには付加価値が生まれます。そういったわけで、どんどんと課題は少なくなっていきます。でも、なくなりはしません。人々が完全に不満がなくなるまでこの課題解決プロセスは続きます。課題解決に向いているのは、何か専門知識を持っている人や、淡々と時間を投入できる人、経験のある人、でしょう。

ところで、日本はもしかしたら、この「課題解決フェーズ」の人が多すぎて、「問題発見フェーズ」や「共有フェーズ」に強い人が少ないのが問題なのではないかとも思います。課題を発見できない人が仕事するとき何をするかといえば、「てにをは直し」とか、なんかそれやってもやらなくても変わらないんじゃないの??と思えるような課題感の仕事に全力を注ぎ始めるわけですね。

もしかすると、大学受験問題で「問題を作りなさい」「課題を発見しなさい」型の問題が少なすぎて、全部与えられた課題を解決するような問題ばかり出題されるのがよくないのかな、とか思ったりもします。仕事でも、「仕事は自分で見つけるもんだよ」と言いながら、なかなかうまくいかないのは、課題発見や共有というフェーズで、適切なトレーニングを積んでいないがために起きている問題なのではないか、とも思えます。

あとは、対価の面も重要ですよね。人々に課題探しをさせているのは、お金であったり、やりがいであったりします。お金は非常にこのプロセスの中で大きな役割を果たしています。お金を媒介にした課題解決ゲームをしているわけですよね、私たちは。お金を媒介にした課題解決ゲームについて研究する学問が、経済学や経営学なのではないかと思いました。課題→共有→解決というフェーズを重要視していきたいですね。

こちらからは以上です

問題発見プロフェッショナル―「構想力と分析力」

問題発見プロフェッショナル―「構想力と分析力」

 

 

新聞の役割はスマホにシフト?

こんばんは。Noahです。

こんなのが発表されてましたね。

第9回2016年メディアに関する全国世論調査結果の概要

http://www.chosakai.gr.jp/notification/pdf/report12.pdf

調査を行ったのは、新聞通信事業に関する調査研究、資料収集、講演会の開催などを行っている公益財団法人新聞通信調査会。

毎年行っている調査だそうですが、注目すべきは次の結果です。

・朝刊を「読んでいる」と答えた人の割合である新聞朝刊閲読率は 70.4%となり、調査開始以降、低下傾向が続いている。
・新聞朝刊閲読率とスマートフォンやパソコンを利用したインターネットニュース閲覧率の時系列変化を見ると、新聞朝刊閲読率は 2010 年82.9%から今回 70.4%に低下、一方、インターネットニュース閲覧率は 2010 年度 57.1%から今回 69.6%に上昇し、両者の差がほぼなくなった。
インターネットニュースを見る時に使用する機器は「スマートフォン・携帯電話」が 77.2%と突出、「パソコン」が 45.6%、「タブレット」が 13.5%であった。
・将来の新聞について、「インターネットなどの普及により新聞の役割が少なくなってくる」と考える役割減少派は 47.1%、「今までどおり、新聞が報道に果たす役割は大きい」と考える役割持続派は 35.6%となった。この質問を始めた 2009 年度調査以来、一昨年初めて役割減少派が役割持続派を上回ったが、今回はその動きが加速する兆候を見せた。
・年代別では、役割減少派は年代が低いほど高い傾向が顕著。今回調査では役割減少派が 50代以下で半数を超えた。時系列の変化を見ると、役割減少派は、30~50 代で 2009 年度比 20ポイント以上の増加となった。60 代でも 16.7 ポイント増となるなど、若い世代より中高年層での増加が目立つ。(太字は筆者)

朝刊も読むけどネットも読むということだ

わかっていたことではありますが、ネットでニュースを見る層がほぼ70%に達しており、新聞の朝刊を読む率とほぼ同じになっています。ただ、ここで新聞の時代は終わった……とするのは早計で、ネットでニュースも見ながら新聞も見るという層が非常に多いんですね。

それに朝刊は全く読まないという人が全体の30%と非常に大きくなっています。さらに、「新聞の役割が少なくなってくる」と考えている人が47.1%もいるみたいです。この中には朝刊は読んでいるのに役割が少なくなってくると考えている人もいるみたいですね。

最大のポイントはスマホでニュースを見る人が77%と突出しているということで、まあ8割、ほとんどの人はスマホでニュースを見る時代なんですね。20代や30代に至っては90%以上の方がスマホでニュースを見ています。一体、スマホで見るニュースは何を見てるんですかね?スマートニュース?newspicksTwitterのニュース?それに、ニュースを見るに至るきっかけが気になります。スマホをいじってたら、SNSなりインターネットなり、まあよっぽどのことがない限りニュースを偶然見る機会ってあると思うんですよね。そういう形で、受動的にニュースを見る機会があるのか、それとも、能動的にアプリなどでニュースをチェックしているのか。

ここで質問をみていくと、

36.インターネットニュースを見るサイトは?

ポータルサイトが 90%、新聞社の公式サイトは 21% 

という回答もあります。アプリはどのあたりにカテゴライズされているのかわかりませんが、「ポータルサイト」っておおむねYahoo!とかのことかなあ、という感じがしますよね。逆に新聞社の公式サイトには21%しかアクセスしていないということは、能動的に新聞を読みたいという人は結構少ないのではないかということが想像されます。また、

35.よく見るインターネットニュースの記事は?

●1位「スポーツ・芸能に関する記事」(77%)、2位「社会に関する記事」(56%)

という項目もあり、ここからすると、「朝刊の役割がネットにシフト」というよりは、「ワイドショー的なものの役割がネットにシフトしている」という流れもあるような気がしています。

ということで、現在は「スマホで、受動的に、ワイドショーみたいなネタを読みつつ、新聞の朝刊もまあ読む」みたいなペルソナが一般的なんじゃないかなあと思えて、過渡期なのか、それとも単にメディアによる使い分けが進んできているのかは、まだよくわからないところがあるなあと思います。

ってことで、そういうデータが見えるようなところでデータ分析みたいな仕事がしたいなあ、なんてことを思っています。

できる人が見ると(知ってるから)時間の無駄になる3つの良い習慣

こんばんは。最近「優秀な人ってどんな人かな」と考えてみると、「ああ、優秀な人って必ずこういうこと、やってるよなあ……」ということがありまして、3つ紹介してみたいと思います。

  1. 問題解決志向である

    優秀な人はかならず、「今問題は何か」をまず発見しようとします。難しい問題を探している数学オタクみたいな感じで、とにかく自分の力でギリギリ解けそうな課題・問題を探し続けています。
    そして、解決しようとします。解決策が見つかっているような課題でも、よりエレガントな解き方はないかという視点で探したりします。
    この姿勢、ビジネスでめちゃめちゃ大事だなあ……と思っています。やっぱり、課題を解決することって仕事そのものだと思うんですよね。起業家であろうとサラリーマンであろうと、やっぱり誰かの課題を解決するものです。例えば、電話という製品は、「遠くの誰かと話したいけど話せない」という課題を解決していますし、冷蔵庫は「食べ物がすぐ腐ってしまうので保管場所がほしい」という課題を解決しています。このように、身の回りにある製品やサービスは、ほとんど何かの問題を解決するために存在するといってもいいでしょう。こうした課題を常に探している人というのは、それだけ社会への貢献度が高くなっていくのではないかなあと思います。

  2. 仮説思考を徹底している
    優秀な人は仮説思考です。やみくもに動くのではなく、課題に対して「こういう風に解決できるのではないか」と考えて、その検証のために動くという感じの動き方をします。この方法の良いところは、やみくもに動くよりも成功率が高くなるであろうことのほかに、その手法をのちにフレームワーク、勝ちパターンとしてしまって、もう一回同じような問題が出たときには瞬間的に解けるようにパターン蓄積するということなのです。
  3. 他者を受け入れ、学ぶ
    優秀な人は他人と接するときにも、必ず何かを学ぼうとしています。学ぶためには、相手を屈服させ自分の言いたいことをいうのではなく、相手の自由な発言を受け入れ、許容する必要があると思います。会話の中で極力肯定的な雰囲気を作り出し、相手の言うことに一生懸命耳を傾け、理解しようとします。その中から違いを見つけ出し、楽しみ、吸収するというプロセスが得意です。

こうした姿勢をもって人生を送っている人は、もれなく経験値がどんどん溜まっていっている気がします。だからこそ、同じものを目にした時でも彼らは人より成長してしまうんですよね。見習っていきたいものです。

世界のエリートがやっている 最高の休息法

世界のエリートがやっている 最高の休息法

 

 

Surface Pro 4を買ったので少し使用感などをレビュー

こんにちは。Noahです。

今度出張に行くのですが、その時に持っていくPCがないな、ということで、色々PCを見ていました。本当はMacbookなども検討していたのですが、ちょっと出張とのタイミングの兼ね合いでギリギリになってしまいそうだったので、結局今買おう!ということになりまして、

色々迷ったのですが、結局MicrosoftSurface Pro 4を購入しました。

 購入したのはこちらのモデル。メモリ4GB、CPUはCorei5。

CPUとメモリで、それぞれモデルが分かれているのですが、Corei5という、選択肢の中では中程度のものを選びました。

ゲームとかの用途で使うのならば、メモリやCPUをもっと上のもの、Corei7にしたほうが良いと思います。

ただ、お値段はすごく高くなるので考慮が必要。

基本的にこういうタブレットPCを選ぶとき、一番重要なのはオーバースペックを避けることだと思っていて、絶対使わない用途に対して意味もなく金をかけるというのがありがちなミスです。なので、まずは「一番最低の価格で事足りないかどうか考えてみる」ということを徹底することでコストを下げています。

わたしは、Surfaceではインターネット、動画閲覧、あとはそんなにスペックを使わないゲームぐらいがやれればいいなと思っているので、これで十分かなという感じで購入しました。

使用感

気になる使用感ですが、今のところ非常に快適。ブラウザも当然かもしれませんが、Chromeで複数窓を開いても本当に快適。何よりよかったと思うのは、心配していた別売りキーボードのタッチ。

 

事前に確認して買ったのですが、ブログとかを更新するぐらいの長文を打つ時にはどうなのか?ということはなかなか確認しづらい。でも、まったく大丈夫でした。むしろめっちゃ打ちやすいです。快適そのもの。

あとは、充電がちゃんと持つかとかそういうところは、もう少し使ってみないとわかりませんが、基本的には小さいノートパソコンとほぼ同様の使用感が期待できますし、しかも持ち運びも便利という感じ。不満がほとんどない良い製品です。

出張に持って行ったときにどうなるかというのは、また問題が起こればレビューしてみたいと思います。