続・のあろぐ

ゲーム、漫画、アニメで社会を豊かにしたいNoahの個人ブログ

今年一年お世話になりました(1年の振り返り記事)

12/31になった。

今年初めのエントリーからあっという間に一年が経ってしまった。

noahp.hatenablog.com

本当にこの一年あっという間に過ぎて行って、その間にはいろいろ自分なりに大変なこともあったし、自分なりにわくわくするようなこともあったと思う。折角の大晦日なので、今回は自分のことについてしっかりと振り返っていこうと思う。

主語を大きくしてしまうと、「人生の変化というものは」非常にグラデーション的なもので、2016年からはこうだったけど、2017年はいきなりこんなことになります、というものでもないような気がする。そういった劇的な変化があると感じるのであれば、それはおそらく気分的な問題だろう。実際には、徐々に徐々に、人生というのは変化していくものなんじゃないか、と思う。

そういう意味では、2015年と違って2016年はこんなことがあった、ということは実はあまりない。でも、少しずつ自分に影響を与えた事象はあったし、思うこともたくさんあった。

春まで

じゃあ2016年にどんなことがあったのか、ということで考えてみると、春先ぐらいまでは、ここで書くことでもないがある一つのことに本当に悩んでいて、できれば良い結果をと思って色々と頑張っていたのだが、これは叶わぬ夢となってしまった。

「良い結果」というのは一体なんであったのか、ということで振り返ってみると、おそらくこのあたりがもやもやとしていたことが、本質的に問題であったのかなと思う。

人間、かっちりした目標というのはなかなか持ちづらいもので、「こうあってほしいな」ということは頭だけで考えていては定めにくい。頭だけで考えると、どうしても心=感情がついていかないことはままある。例えば、「私は世界中から飢餓をなくしたいです」とか頭でお題目的な目標を定めていても、心がついていかないと、目標だけが上滑りして、全然身が入らない。この瞬間に目標はwant to = 「誰に止められてもかなえたいもの」ではなくて、should =「誰かにやらされていること」に変わってしまっている。

そういうわけで、この時期というのは、「頭で色々と考えて」動いていたが、もっと「心とか感情で考えて」動くということをもっと大事にしていくべきだったと思う。もっとも、この辺はバランスの問題もあって、頭や言葉を使っていくと、相手の共感はより得やすくなるということもあるが、それは外面的な問題で、まず自分の内面でこういうことをしたいのだ、ということを見定めるべきであったと思う。

ともかく、この春先ぐらいまでの経験というのは、この1年に大きな影響を与えた事象だったと思う。ものすごく色々なことを考えたと思うし、内面省察―自分の生き方を振り返るという意味でもかなり進んだ時期だった。ありがとうと思うし、もっと他のやり方はなかったのかと今でも思う。

春から夏まで

4月から仕事では部署異動があって、別に異動したいという希望もなかったのだが、うちの会社は2~3年ごとに異動して様々な経験をするのはほぼマスト、ということで、新たな仕事に移った。昨年とかおととしぐらいから感じていたことなのだが、思い上がりの面もあると思うが、もう会社の中核人材なんだな自分は、ということは強く感じる。意見を求められることも格段に増えたし、自分の意見に対して、新人の時には考えられないぐらい、周りがリスペクトをもって接してくれている。それは、自分の意見が実際に通って、実行されるということから言っても思う。感覚的に言うと、「耳の傾けられ方」が昔と格段に違う。

一言でいえば必要とされる機会が増えた、ということで、単に手を動かせる労働力ではなく、自分の経験をもとにして何を考えるか、何を思うか、どうしていきたいのか、ということをより発信するということを求められているという風に感じる。こうなってくると、責任感として、やり遂げる意味合いも出てくるし、自分が何をしたいのか、どうしていくと他者に貢献できるのか、ということをより考えるようになってくる。

この時はたと困ってしまうのは、今まで船に乗っていただけだったのに、自分がいざ舵取りを任せられるようになると、どちらに行けばいいのか、ということを示し、それについて皆が共感・納得して船に乗ったままでいてくれるようにする、ということは結構ドキドキするということだ。

それは裏返せば、まだ自分に自信がないということでもある。自分で自分の仕事が、まだクオリティ高い仕事だと思えないということが、まあ、今もずっと続いている。周りはそれでも喜んでくれることもあるし、自分以外に自分のような仕事ができるかといえば、自分以外には今自分のやっていることはできないというプライドのようなものも、一人前にもってはいる。それでも、自分の理想の世界とは程遠い。

ここでもまた同じで、自分の理想の世界というのは何なのだろうか、この漠然とした抱えている不安や不満のような気持ちの正体はなんなのだろうか、ということを強く意識せざるを得ない。

春先と同じだ。仕事でもまた、心で考えている漠然としたもやもや、満ち足りない気持ちを表現しきれない。もっと、何かできるはずだというか、何かしたいのにできていないというか、兎も角そういった心の欠如感のようなものに常に苛まれる。

そんな自分を、贅沢だなとも思う。この水準というのは、人によっては客観的に見ればかなりハイレベルなんだろうと自分でも思うから、ここで満足すべきところが満足できていないという風に見えてもおかしくはない。でも自分では満足できてないのだから、しかたがない。

そんなわけで、春はそれこそ残業100時間級が毎月続く感じで働いていたが、それと同時に引っ越しして、もぐらゲームスやMogura VRについてのことを一生懸命考えるというダブルの生活をしていた上、プライベート的にも充実させようとしていたため、本当に時間が足りなくてきつかった。

夏から秋まで

新しく任される仕事もだいぶ慣れてきたという頃から、やはりまた自分の内面省察のようなことをしていた。

7月末からはポケモンGOがリリースされたが、リリース直後に、みんなが外に出てゲームをしている感じを見て、非常に一体感があると思ったし、一つのことに向かってみんなが夢中になっているというさまをみると、何となく高揚感のようなものがあって、自分がポケモンGOを作ったわけでもないのに何となく誇らしげな気持ちになった。

こういうゲームがあるといいな、とどこかで心の中で思っていて、それが実現したような感じで、一つ自分の中で満足が生まれた。「ゲームのちからで世界を変えよう会議」という活動をしていたのも、やっぱり現実とゲームとがうまく結びついて、ゲームがみんなから認められる日が来ないかと思って活動していたものだったし、少なくともポケモンGOは、様々な課題を孕みつつも、自分の中では一つの方向性を示したものだった。

結局このころは、暇になったのをいいことに平日、土日問わずポケモンGOばっかりしていて、もともと歩くほうだったとはいえ、土日はそれこそ4~5時間ぐらい平気で歩いていたし、あんなに歩いていたのは本当に久々の経験だった気がする。

何となく映画を観る頻度が上がったのもこの時期で、とはいえ、『シン・ゴジラ』を2回?(3回だったかもしれない)とか、『君の名は。』を2回観たという程度ではあるのだが、何となく映画を観つつ、ああ、こういう風に作るのか、とか、マーケティング的にはここでこういう風に盛り上げていくんだな……というようなことを分析している自分がいて、特に初見で観たときにはそういうことばっかり頭で分析しているというのが自分らしいなと思った。そういう自分が嫌いじゃない。

そういうことを通じながら、何となく自分の中で「自分とは何か」ということについて洞察をさらに深めていった感じがする。

Mogura VRのほうもだいぶやることが定まってきたために、8月には法人化を行った。繰り返しになるが、わたしはこの中で運営にボランティア的にかかわっているだけではあるのだが、進撃していくような感覚というのは高揚感みたいなものが高まる。ポケモンGOが出たときや、何かムーブメントが起きたときに感じる感覚が自分は好きなのだろう。

秋から冬まで

秋にはまた仕事が忙しくなって、秋にはアメリカ出張とかも行ったりしたけど、ここでもいろいろスタートアップとかについて考える機会があった。ただこのあたりで、徐々に色々考えることに疲れてしまったので、再び頭で考えるより心が大事だなあと思ったりして、すべきで動くのではなく、なるようにしかならんというか、したいことだけやるようにしていたらしたいことできるじゃん、ということで今に至る。

そして年末を無事迎えたわけだが、この一年で、結局、よくよく自分のことについて考えた、あるいは考えつつあったのだと思う。まだ明確な答えが出たわけではないのだが、すごく最近思っているのは、もっと人は自分のうれしかったこと、何が楽しいと思っているのか、そういった気持ちでどうやってずっと過ごしていったらいいのか、本当に考えてみたほうがいいと思う。

あと、「否定しない」ということが大事だなあと改めてこの一年思った。ネットとかSNSに疲れてしまったというのが若干最近顕著で、何でかなあと思うと、懐古厨になるわけでもないんだけど、昔よりもインターネット空間が否定的な空間になってしまったんじゃないか、と。welqの問題にしろ、炎上にしろ、ずるいことや変なことをやる人がいて、その人たちをみんなで否定して、みたいな。

だから最近思うのは「人を呪わば穴二つ」って言葉で、人のことを悪く言うこととか、愚痴や妬み、強い言葉を使うことが「呪い」だと勝手に思っているんだけど、こうやって人を呪ってしまうと、若干スピリチュアルなのかもしれないけど、どんどんネガティブな「気」が自分の周りに集まってきてしまって、ほんとよくない。

こういう良くないことをいうのもほんとはよくなくて、「よくない、よくない」と言っていると、「そうだね、よくないね」という人たちが現れて、ずっとよくないよくない、現状を否定し続けるのが一番気持ちいいという状況になってしまう。そうではなく、せめて「よくないから、これはこうしてはどうなのだろう」という方向、いい方向に向かうにはこうだ、という風にすべきで、もっとよいのは、「ここはいい、あそこはいい」といいことをちゃんといいと言っていたほうが、よっぽど気持ちいい。

一年の抱負みたいなものは、ちゃんと年明けにまた、とは思っているけど、とにかく今年した、こういう経験とか考えをもとにしていきたい。

今年初めにたてた、「死を想え」という目標は、きっとそれなりには達成できて、ただ、自分が死ぬまでのというよりは、生きていることへの想いを寄せるということであったと思う。 

それで、最後になるが、このエントリを紹介したツイートが、@powerofgamesorgのちょうど2万ツイートということになる。今後もツイートは続けていくつもりだが、少し運用は変えていこうと思っていて、すごく端的にいうと、ツイートしたり見たりするということに疲れてしまった。

SNS疲れというやつなのかもしれないが、とりあえず人のツイートとかを見ることに、正直なところ、若干疲れてしまっている自分がいて、そういう意味であんまり人をフォローしていない@noahpeahというアカウントを作っていて、そっちの更新頻度が上がっている。人の目を気にしないでやりたいことだけやるというような感じにしたところ、むしろのんびりした感じの気の抜けたアカウントが出来上がってしまったのだが、気分はいい。興味がある人はこちらをフォローしてみてはいかがだろうか。自分の中でフォローをあんまり増やすと疲れるという気持ちがあるので、リフォローはしないと思うので、悪しからず。来年もよろしくね。良いお年をお迎えください。