続・のあろぐ

ゲーム、漫画、アニメで社会を豊かにしたいNoahの個人ブログ

過去の夢(暗い)

昨日、職場で「どうも自分は異動っぽいな」と感じる出来事があった。自分の会社では2~3年ごとに部署を異動することが割と普通である。部署が変わるということは、多かれ少なかれ環境が変わるということだ。それで不安だったのかもしれないが、昨日眠ったあとに、夢だかわからない何かをみた。夢と書いたが、映像にならないもやもやしたそれは、どちらかと言えば妄想に近いもので、過去に自分の意識が飛んでいた。

それは過去、新卒で今の会社に入ってからいろんなことを経験してきたときのモヤモヤ感、みたいな感じをもう一回リピートしているような夢だった。映像なしで感情だけが再度押し寄せてきた、という感じで、正直言ってかなり胸糞悪くなったのは事実。

その胸糞悪い感じをここにしたためることで自分が楽になろうとしているので普通の人は見ないほうが良いと思うという今回のエントリです。

新卒で入って「戦犯」と呼ばれた

新卒で今の会社に入ったとき、時はリーマン・ショック後の不況そのもので、ぼくが配属になった部署はいわゆる「戦犯」と呼ばれている部署だった。リーマン・ショックのあおりで「仕方なかった」部分もあったはずの損失の大部分の責任が、ぼくの配属された部署に集約された。

当時の部長は週1回の「反省会」のようなものに出席し、時には涙目になって帰ってくることもあった。当時の部長は交代したばかりだったので、その部長にも全く責任はないはずだが、とにかく部署としての責任を負わされて責め立てられていたようだった。かなり年のいった年長者で、部署で一番偉いはずの人が涙目になるまで怒られて帰ってくる姿は新卒のぼくにはとても衝撃的で、それだけでもかなり暗い気分になったのを思い出す。

ぼくはと言えば、当時期待にあふれて会社に入ったこともあって、入社してから程なくして生まれた感情は「なんじゃこりゃ」「こんなはずじゃない」だった。まあ多かれ少なかれ、会社に入った新卒というのは「自分の思ってたのと違う」という感情を抱くものだ、と今になって振り返れば思う。

しかし、今になって振り返っても当時の環境は結構酷かった、とも思う。詳しくは省略するが、組織内部は当然ギスギスしているし、責任は押し付け合い、まともな仕事はほとんどなく、仕事ができても誰にもノウハウがないため、また責任を押し付け合った。誰もまともな仕事の指導してくれる人がいない中で、ぼくの唯一と言っても良い仕事は、その日のニュースをまとめて文章に起こし、偉い人に提供するみたいな仕事だった。数行文章を書いては、先輩に数時間ほど嫌味を言われたり怒られたり(まあそれでもしっかり見てもらえたのだけは良かった)しながら、「誰からもツッコミが来ないような文章」の習熟につとめていた。

社内の他の同期はといえば、辛いことはありそうだけどそれなりには楽しそうに見えて、組織がギスギスしているということもないし、まともな仕事はあるしという状況で、一日一日を無為に過ごしているとしか思えなかった自分は、他の同期を羨ましく思うことしかできなかった。

あと、地味に辛かったのは、自分より圧倒的に他の同期のほうが優秀だったということ。みんなキラリと光る何かを持っていて、自分なんかより全然頑張っていて、目標を持っているように見えたし、人生楽しんでいる感じがすごくて、リア充とかそういう次元を超越してみんながとてもまぶしく見えた。この人達にはかなわないな、と思う人も何人もいた。

今思うと同期もそれなりに辛いことはあったと思うし、いわゆる「隣の花は赤い」というやつだとは思うのだが、客観的に見てもその当時のぼくの状況はつらいものだったらしく、今でもその部署の名前を出しただけで心底同情してくれる人が社内に多い。ただ、配属を決定したはずの人事からも「かわいそう」と言われた事があるのは腑に落ちない。

周りが敵としか思えなかった

一番つらかったのは、やはり殆どの人が、その部署に配属しているというだけで、「なにか良からぬことをやろうとしている奴ら」「戦犯」という風にみなしてきた事が一番つらかった。社内の他の部署に電話しても、部署名を名乗るだけでガラッと声が変わって、どんどん冷たくなって最後に電話を切るときには本当に暗澹とした気分になった。

当時の自分の見えている世界はとても狭くて、心ある人などこの会社にいないのではないか、と思えた。大学時代はかなり飄々としたキャラクターだったと自認している自分がどんどんと暗くなっていくのがわかった。暗くなっていくだけならいいのだが、あまりに人から冷たくされたもので、その冷たい社会が当時の自分の人生のすべてだったわけで、そのうち「社会のみんなは自分の敵である」という認識になった。

それまでは割と一生懸命に、人のためになりそうなことなら頑張ってきたつもりではあったが、敵とみなした相手への自分の対応というのは、とにかく笑ってやりすごす、ということだった。ああ、いいですね、それでいいじゃないですか、良いんですよ、好きにすれば。関心を装った無関心。参加を装った不参加。そう、「好きにしたら」というのが自分にとって最大の復讐だった。それじゃ失敗すると思うとか、あなたの進む先に落とし穴が見えているよ、と思っても、ニコニコ笑って口をつぐみ肯定した。関係ないもの。あなたのことを愛してないから、どうなったって別に構いませんよ。落とし穴に落ちれば良い。むしろ、落ちてくれと思った。敵だから。

今振り返ると、ぼくは「失敗すればいい」と思って、自分の意見をすべて封印し、とにかく無関心だったのだが、そのくせ体裁としてはニコニコしながら肯定しているように見えたので、部署内では比較的評判がよかった。非常に逆説的だが、新人がうるさいことを言わないほうが、ウケが良いという感じだったのだと思う。

そうやっていると、本当は心のなかにはストレスが溜まっていった。言いたいことは何も言わなかったし、会社の寮に帰ってきて、一人で布団を被って寝ていると、「一体自分は何をしてるんだろう?」みたいなみじめな気分になった。休日に何をしていたのか、未だに思い出せない。

そのくせ、形にならなくてももがいて、朝は5時半とかに起きてまあ英語とか勉強したりして、「なんとかならないものか」とは思っていた。そういう精神状態で勉強してみてもあまり一つ一つは長続きしなくて、正直今の段階ではあの努力はほとんど無駄だったな、と思えるのが少し哀しくはある。

そんなことがつぎの部署でも尾を引いて続いて、その時期に大学時代の恩師が亡くなったりとか、色々あって、「症状」は悪化した。でも、その時期にジェイン・マクゴニガルの「ゲームで世界を変える」という講演とかをTEDで見たりして、ようやく希望が見えるようになってきたというような感じ。

今は楽しいよ

まあそんな感じの過去を思い出して本当に気分が落ち込んだのだけど、今は本当に楽しくやっていると思う。上司にも恵まれ、それなりに今までやってきたことが生きる。ある程度好きな様にやらせても貰える。プライベートもとても充実している。

あれだけ人を敵視していたけど、今は「良くない」と思うことがあればそう言うし、人に失敗すればいいと思うこともほとんどない。比較的健全な悩み方をしているように思う。

何より、過去のことをこれぐらい冷静に振り返ることができるようになった、というのは、心の余裕ができてきたという証でもある。

今になって振り返ると、あれは何だったのだろう、と思う。けれど、今回異動かなあ、みたいなタイミングになって、また過去のことを思い出して不安になっているのだろうなあと。

また思い出すことがあったらどこかに吐き出さないと、たぶんやってられんな、とは思う。

まあ、とりあえずは今が楽しいので、この時間をちゃんと大切にしていきたいな、と思う次第で、現在。