【FGO】5分でわかる!王者級3ターン周回に便利なサモさんシステムの解説
現在FGOで開催中のネロ祭りイベントですが、そうした周回に便利な方法として「サモさんシステム」というのがあります。「サモさんシステム」とは何か、今回はその概要を書いておこうと思います。
サモさんシステムの動画
一番良く解説されているのがこの動画。
このように、基本は水着モードレッド(通称サマーモードレッド=サモさん)の宝具を3ターン使い通して周回することになります。
どうしてこのように、サモさんの宝具を連続で使用する事が可能かというと、
- サモさんの宝具のHit数が多く、アーツである
- クラススキル「サーフィン」によってアーツ性能がアップしている
- スキル1「セルリアンライド」によってアーツ性能をさらにあげる事ができる
- 宝具でオーバーキルすることで、アーツのNP獲得量がさらに上昇する(コメントで指摘を頂いたので追加しました)
と言った特徴のためです。
サモさんシステムのメリット
例えば宝物庫などの周回では、サモさん以外の礼装を特に考える必要がなくなります。
なので、モナ・リザ礼装や絆礼装など、他の5名のサーヴァントに付けたい礼装を付けることが出来、1周回あたりの効率が上昇します。
今回のネロ祭りのように、花びら礼装などをたくさんつけて周回したい、という場合特に便利なのがこのサモさんシステムですね。
サモさんシステムのやり方
基本的な戦略としては、「サモさんの宝具を撃った時になるべく大量のNPを獲得できるようにする」ということです。
ヒット数は変わらないので、あとはアーツ性能アップとNP獲得量アップのスキルをかけてやればいい、ということになります。
というわけで、用意するものは以下のサーヴァントです。
- サモさん
- ネロ・ブライド(嫁王)
- 孔明
- 玉藻の前
玉藻の前が要らないケースもあって、今回のネロ祭り王者級周回であれば、サモさんのスキル1とスキル3が両方スキルマ、ネロ・ブライドのスキルがスキルマになっているときです。
その場合は、NP20アップできる「魔術協会礼装」を利用し、最初にあった動画のように、
①サモさんのスキル1でアーツアップする
②サモさんのスキル3でNP30アップさせる
③マスター礼装でNP20アップさせる
④孔明のスキルをフルに使ってNP50アップさせ、NP100までもっていく
という形で宝具を撃てばOKです。
敵が3体以上いないと、サモさん宝具でのHit数が少なくなってしまい、NP獲得が下がってしまうことに注意してください。
その他の場合であれば、玉藻の前でアーツをアップし、さらにNP獲得量をアップしてあげるのが定石となります。
で、これが基本形で、もしここからアレンジする場合には、
- オーダーチェンジできるカルデア戦闘服にマスター礼装を切り替え、自分の孔明とフレンド孔明を両方使いNP100まで持っていくダブル孔明
- 嫁王を三蔵や織田信長で代用し、NP獲得量アップを使う
- 玉藻の前を術ギルガメッシュなどで代用しアーツアップを狙う
などのやり方があります。
このあたりは各自工夫のしがいがあると思うので、ぜひいろんな組み合わせを探してみてください。
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【FGO】初心者から上級者まで必ず見ておくべき攻略情報まとめ
最近FGO(Fate/GrandOrder)というスマホゲームにハマっています。結構いろいろな攻略サイトを見ることが多いのですが、見ておいたほうがいいFGOの攻略サイトや情報ページについてまとめておきます。
FateGOアイテム効率劇場
FGOの鯖を霊基再臨(進化)させるには各種の素材が必要なわけですが、この周回が結構エグくて、蛮神の心臓だの鳳凰の羽根だのと言ったアイテムは全然DROPがありません。ステージごとにも全然素材のDROP率が違うので、効率的に回りたいものです。
ということでこのFateGOアイテム効率劇場。1個あたりのAP効率や、DROP率そのものがどのぐらいなのか示したランキングなどを、FateGO周回カウンタというところから集計したものベースで公開しているサイトです。
サーヴァント宝具威力ランキング(β版)
各ステージやイベントを周回する時、折角なので相手の相性も考えつつ、一番高い威力の宝具が使えるサーヴァントを連れていきたいですよね。
こちらは単体・全体それぞれの宝具のダメージ・威力についてまとめたランキング表。結構高性能で、クラスごとや単体・全体それぞれに分けた宝具の威力などがまとまっています。星3については宝具5、星4と星5のサーヴァントについては宝具1、宝具2それぞれの威力が比較されている点も実用的です。
検証勢が考えたサーヴァントランキング
「どの鯖が一番強いの?」とか「リセマラで誰引いたら終わりにすればいいの?」みたいな疑問はどのゲームでも生まれてくるもの。FGOでもそういった点は非常に気になってしまいます。FGOはそうはいっても低レアのサーヴァントといっても活躍どころが結構あって、星3といえども全く活躍に遜色ない(例えば呂布とかは単体宝具でかなり上位に入る威力を誇る)といったことがあります。
そこで、とりあえずはGamewithさんのサーヴァントランキングがおすすめです。各鯖ごとの評価や、どういう時に使ったら良いかをかなりじっくりと考察していますので、一見の価値ありという感じです。単純に強い弱いではなく、どこで使ったらどんな感じで使えるのか、という考察がされているので非常に良い感じだと個人的には思います。
他にもあるとは思いますが、とりあえずは今のところこんな感じ。順次更新していこうと思います。
↓FGOやってない時に聴く用のBGM
今年一年お世話になりました(1年の振り返り記事)
12/31になった。
今年初めのエントリーからあっという間に一年が経ってしまった。
本当にこの一年あっという間に過ぎて行って、その間にはいろいろ自分なりに大変なこともあったし、自分なりにわくわくするようなこともあったと思う。折角の大晦日なので、今回は自分のことについてしっかりと振り返っていこうと思う。
主語を大きくしてしまうと、「人生の変化というものは」非常にグラデーション的なもので、2016年からはこうだったけど、2017年はいきなりこんなことになります、というものでもないような気がする。そういった劇的な変化があると感じるのであれば、それはおそらく気分的な問題だろう。実際には、徐々に徐々に、人生というのは変化していくものなんじゃないか、と思う。
そういう意味では、2015年と違って2016年はこんなことがあった、ということは実はあまりない。でも、少しずつ自分に影響を与えた事象はあったし、思うこともたくさんあった。
春まで
じゃあ2016年にどんなことがあったのか、ということで考えてみると、春先ぐらいまでは、ここで書くことでもないがある一つのことに本当に悩んでいて、できれば良い結果をと思って色々と頑張っていたのだが、これは叶わぬ夢となってしまった。
「良い結果」というのは一体なんであったのか、ということで振り返ってみると、おそらくこのあたりがもやもやとしていたことが、本質的に問題であったのかなと思う。
人間、かっちりした目標というのはなかなか持ちづらいもので、「こうあってほしいな」ということは頭だけで考えていては定めにくい。頭だけで考えると、どうしても心=感情がついていかないことはままある。例えば、「私は世界中から飢餓をなくしたいです」とか頭でお題目的な目標を定めていても、心がついていかないと、目標だけが上滑りして、全然身が入らない。この瞬間に目標はwant to = 「誰に止められてもかなえたいもの」ではなくて、should =「誰かにやらされていること」に変わってしまっている。
そういうわけで、この時期というのは、「頭で色々と考えて」動いていたが、もっと「心とか感情で考えて」動くということをもっと大事にしていくべきだったと思う。もっとも、この辺はバランスの問題もあって、頭や言葉を使っていくと、相手の共感はより得やすくなるということもあるが、それは外面的な問題で、まず自分の内面でこういうことをしたいのだ、ということを見定めるべきであったと思う。
ともかく、この春先ぐらいまでの経験というのは、この1年に大きな影響を与えた事象だったと思う。ものすごく色々なことを考えたと思うし、内面省察―自分の生き方を振り返るという意味でもかなり進んだ時期だった。ありがとうと思うし、もっと他のやり方はなかったのかと今でも思う。
春から夏まで
4月から仕事では部署異動があって、別に異動したいという希望もなかったのだが、うちの会社は2~3年ごとに異動して様々な経験をするのはほぼマスト、ということで、新たな仕事に移った。昨年とかおととしぐらいから感じていたことなのだが、思い上がりの面もあると思うが、もう会社の中核人材なんだな自分は、ということは強く感じる。意見を求められることも格段に増えたし、自分の意見に対して、新人の時には考えられないぐらい、周りがリスペクトをもって接してくれている。それは、自分の意見が実際に通って、実行されるということから言っても思う。感覚的に言うと、「耳の傾けられ方」が昔と格段に違う。
一言でいえば必要とされる機会が増えた、ということで、単に手を動かせる労働力ではなく、自分の経験をもとにして何を考えるか、何を思うか、どうしていきたいのか、ということをより発信するということを求められているという風に感じる。こうなってくると、責任感として、やり遂げる意味合いも出てくるし、自分が何をしたいのか、どうしていくと他者に貢献できるのか、ということをより考えるようになってくる。
この時はたと困ってしまうのは、今まで船に乗っていただけだったのに、自分がいざ舵取りを任せられるようになると、どちらに行けばいいのか、ということを示し、それについて皆が共感・納得して船に乗ったままでいてくれるようにする、ということは結構ドキドキするということだ。
それは裏返せば、まだ自分に自信がないということでもある。自分で自分の仕事が、まだクオリティ高い仕事だと思えないということが、まあ、今もずっと続いている。周りはそれでも喜んでくれることもあるし、自分以外に自分のような仕事ができるかといえば、自分以外には今自分のやっていることはできないというプライドのようなものも、一人前にもってはいる。それでも、自分の理想の世界とは程遠い。
ここでもまた同じで、自分の理想の世界というのは何なのだろうか、この漠然とした抱えている不安や不満のような気持ちの正体はなんなのだろうか、ということを強く意識せざるを得ない。
春先と同じだ。仕事でもまた、心で考えている漠然としたもやもや、満ち足りない気持ちを表現しきれない。もっと、何かできるはずだというか、何かしたいのにできていないというか、兎も角そういった心の欠如感のようなものに常に苛まれる。
そんな自分を、贅沢だなとも思う。この水準というのは、人によっては客観的に見ればかなりハイレベルなんだろうと自分でも思うから、ここで満足すべきところが満足できていないという風に見えてもおかしくはない。でも自分では満足できてないのだから、しかたがない。
そんなわけで、春はそれこそ残業100時間級が毎月続く感じで働いていたが、それと同時に引っ越しして、もぐらゲームスやMogura VRについてのことを一生懸命考えるというダブルの生活をしていた上、プライベート的にも充実させようとしていたため、本当に時間が足りなくてきつかった。
夏から秋まで
新しく任される仕事もだいぶ慣れてきたという頃から、やはりまた自分の内面省察のようなことをしていた。
7月末からはポケモンGOがリリースされたが、リリース直後に、みんなが外に出てゲームをしている感じを見て、非常に一体感があると思ったし、一つのことに向かってみんなが夢中になっているというさまをみると、何となく高揚感のようなものがあって、自分がポケモンGOを作ったわけでもないのに何となく誇らしげな気持ちになった。
こういうゲームがあるといいな、とどこかで心の中で思っていて、それが実現したような感じで、一つ自分の中で満足が生まれた。「ゲームのちからで世界を変えよう会議」という活動をしていたのも、やっぱり現実とゲームとがうまく結びついて、ゲームがみんなから認められる日が来ないかと思って活動していたものだったし、少なくともポケモンGOは、様々な課題を孕みつつも、自分の中では一つの方向性を示したものだった。
結局このころは、暇になったのをいいことに平日、土日問わずポケモンGOばっかりしていて、もともと歩くほうだったとはいえ、土日はそれこそ4~5時間ぐらい平気で歩いていたし、あんなに歩いていたのは本当に久々の経験だった気がする。
何となく映画を観る頻度が上がったのもこの時期で、とはいえ、『シン・ゴジラ』を2回?(3回だったかもしれない)とか、『君の名は。』を2回観たという程度ではあるのだが、何となく映画を観つつ、ああ、こういう風に作るのか、とか、マーケティング的にはここでこういう風に盛り上げていくんだな……というようなことを分析している自分がいて、特に初見で観たときにはそういうことばっかり頭で分析しているというのが自分らしいなと思った。そういう自分が嫌いじゃない。
そういうことを通じながら、何となく自分の中で「自分とは何か」ということについて洞察をさらに深めていった感じがする。
Mogura VRのほうもだいぶやることが定まってきたために、8月には法人化を行った。繰り返しになるが、わたしはこの中で運営にボランティア的にかかわっているだけではあるのだが、進撃していくような感覚というのは高揚感みたいなものが高まる。ポケモンGOが出たときや、何かムーブメントが起きたときに感じる感覚が自分は好きなのだろう。
秋から冬まで
秋にはまた仕事が忙しくなって、秋にはアメリカ出張とかも行ったりしたけど、ここでもいろいろスタートアップとかについて考える機会があった。ただこのあたりで、徐々に色々考えることに疲れてしまったので、再び頭で考えるより心が大事だなあと思ったりして、すべきで動くのではなく、なるようにしかならんというか、したいことだけやるようにしていたらしたいことできるじゃん、ということで今に至る。
そして年末を無事迎えたわけだが、この一年で、結局、よくよく自分のことについて考えた、あるいは考えつつあったのだと思う。まだ明確な答えが出たわけではないのだが、すごく最近思っているのは、もっと人は自分のうれしかったこと、何が楽しいと思っているのか、そういった気持ちでどうやってずっと過ごしていったらいいのか、本当に考えてみたほうがいいと思う。
あと、「否定しない」ということが大事だなあと改めてこの一年思った。ネットとかSNSに疲れてしまったというのが若干最近顕著で、何でかなあと思うと、懐古厨になるわけでもないんだけど、昔よりもインターネット空間が否定的な空間になってしまったんじゃないか、と。welqの問題にしろ、炎上にしろ、ずるいことや変なことをやる人がいて、その人たちをみんなで否定して、みたいな。
だから最近思うのは「人を呪わば穴二つ」って言葉で、人のことを悪く言うこととか、愚痴や妬み、強い言葉を使うことが「呪い」だと勝手に思っているんだけど、こうやって人を呪ってしまうと、若干スピリチュアルなのかもしれないけど、どんどんネガティブな「気」が自分の周りに集まってきてしまって、ほんとよくない。
こういう良くないことをいうのもほんとはよくなくて、「よくない、よくない」と言っていると、「そうだね、よくないね」という人たちが現れて、ずっとよくないよくない、現状を否定し続けるのが一番気持ちいいという状況になってしまう。そうではなく、せめて「よくないから、これはこうしてはどうなのだろう」という方向、いい方向に向かうにはこうだ、という風にすべきで、もっとよいのは、「ここはいい、あそこはいい」といいことをちゃんといいと言っていたほうが、よっぽど気持ちいい。
一年の抱負みたいなものは、ちゃんと年明けにまた、とは思っているけど、とにかく今年した、こういう経験とか考えをもとにしていきたい。
今年初めにたてた、「死を想え」という目標は、きっとそれなりには達成できて、ただ、自分が死ぬまでのというよりは、生きていることへの想いを寄せるということであったと思う。
それで、最後になるが、このエントリを紹介したツイートが、@powerofgamesorgのちょうど2万ツイートということになる。今後もツイートは続けていくつもりだが、少し運用は変えていこうと思っていて、すごく端的にいうと、ツイートしたり見たりするということに疲れてしまった。
SNS疲れというやつなのかもしれないが、とりあえず人のツイートとかを見ることに、正直なところ、若干疲れてしまっている自分がいて、そういう意味であんまり人をフォローしていない@noahpeahというアカウントを作っていて、そっちの更新頻度が上がっている。人の目を気にしないでやりたいことだけやるというような感じにしたところ、むしろのんびりした感じの気の抜けたアカウントが出来上がってしまったのだが、気分はいい。興味がある人はこちらをフォローしてみてはいかがだろうか。自分の中でフォローをあんまり増やすと疲れるという気持ちがあるので、リフォローはしないと思うので、悪しからず。来年もよろしくね。良いお年をお迎えください。
怖い話から人生の1割を学ぶ
知ってる人は知ってると思うんですが、ぼくは都市伝説系の怖い話が好きで、「【洒落怖】洒落にならない怖い話まとめ」とかよく見るんですが、よくできた怖い話には以下のような特徴があります。全部満たしているとは限りませんが。
・主人公、もしくは友達がなんらかのタブーを冒してしまう(墓石を倒す、やってはいけない動作をする、後ろを振り返るなど)。大抵は興味本位である。
・タブーを冒す前には警告めいたシーンがある(あの池には夜に行っちゃいかんとか、見るからに怪しい雰囲気とか)
・その結果として、怪異に付きまとわれる
・怪異は大抵、人間を異世界に連れて行く(神かくし的に異次元世界へ連れて行くこともあるし、発狂させることもあるし、昔とはほど遠い状態にすることもある)
これらの特徴から、これってイソップ童話的で、「ちょっと妖怪っぽい人には気をつけろ」という教えなんだと理解しています。
いますよね、ちょっとこの人に関わるとヤバそうだな、みたいな人が。その時点で警告めいてるのに、それを無視して興味本位で踏み込むと大変なことになるぞと。
「妖怪と目を合わせてはいけない、話してもいけない、興味を持ってはいけない」という怖い話からのメッセージ。こうしてみると、たんなる怖い話ではなく、体験談として、非常に有用です。
ちなみに、妖怪が退散するケースは、
・より正規の手続きを踏み、タブーを解消する(ただしなんらかの後遺症がある場合が多い)
・より強い権威が有無を言わせず退魔する(寺生まれのTさん的な人)
・自分で自分が妖怪になってることに気づく
・新たなターゲットを見つける
などで、これも示唆的だと思ってます。
「競馬」のゲーム性はどこにあるのか
12月25日といえば有馬記念の日、らしくて、今まで気にも留めていなかった競馬だが、このままやらないで一生を終えるのもつまらないな、と思い直して一回ぐらいやることにした。
で、やるだけではつまらないので、未経験者から見たときに競馬ってどんなゲームに映るのか、どういうところが面白いと感じるのか、ということを記録しようと思ったのでこんな記事を書く。
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競馬といえばダビスタだが、今回はリアルなほうの競馬というゲームそのものについて。
わたしの競馬に対する前提知識
ほぼゼロ、と言ってもいい。
今まで競馬場に行ったこともないし、名前だけ知ってる馬はナリタブライアンとディープインパクトだけ。敢えて言えば競馬ゲームをやったことがあるけど、それも実名が出てくるものはやったことがない。ゲーセンのメダルでやる競馬育成ゲームにハマったことがあるのと、『ソリティ馬』っていうこれも競走馬育成?とソリティアを混ぜたゲームをやったことがあるだけ。ちなみにソリティ馬は面白いので是非。昔レビューも書いた。
話が少し脱線したが、そんなわけなので、馬券の買い方とかも3連単とか言う用語ぐらいしかわからなかった。
賭けることで生まれるゲーム性
さて、競馬といえばまあ一種のギャンブルなわけで、やっぱり競馬のゲーム性というとギャンブル性はついて回る。というわけで今回はちゃんとお金をかけてプレイ。
後段で述べるように、お金を賭けないでも多分たのしいこともあるのだが、お金を賭けると賭けないではやはり楽しみ方が違ってくるのだろう、と思う。
というのも、お金を多少なりともかけた瞬間に、そこに「思い入れ」が発生するからだ。賭けないで、そんなに馬にも興味のないわたしのような人間がレースを見るとどうなるか?
「まあ、どっちが勝ってもいいか、関係ないし」となるに決まっている。そう、「関係ないし」というのがポイントで、麻雀なりFXなり殆どのギャンブルに共通することだと思うのだが、金を賭けることでそこには「関係性」が生まれる。
金銭を賭けることは、自分ゴトとしてレースを捉えるための儀式だ。このあたりは金銭でなくても実は代用可能なのかもしれないが、とにかく自分の一部になっているものをリスクに晒すことで、自分ゴトになると思われる。これが第一のゲーム性だ。ソシャゲなんかでも、このゲーム性をうまく利用していると思っているが、それはまた別の機会があれば述べたい。
ちなみに今回は総額5,000円しか賭けてないので期待しないでほしいが、これがもっと金額が大きくなるともっと自分ゴトになっていくかもしれない。
選択するというゲーム性
さて、競馬のゲーム性のもう一つはまさに「選択」にある。麻雀などでは、配られた牌を見て手に組み込み、一つを捨てる、また牌が配られる…というフローでゲームが構成されるが、これも取捨選択の繰り返しである。
ただ、競馬は一回のみのレース。その中でどの馬が勝つか、一発予想しないといけないのだ。
ただ、ここで、単に予想させるだけだと、「どうせ当たらんだろ」というような諦めのようなものが生まれてしまう可能性もある。これを防ぐためには、「こりゃ、俺がちゃんと選べば当たるんじゃないか、少なくとも当たる確率が上がるんじゃないか」という感覚を作り出すことが大事である。要するに「自分の実力次第で人より抜きん出ることができる」という不均衡性がこのゲームのポイントだ。
このような不均衡意識の醸成は様々なゲームで見られる。「この勝負運否天賦のゲームじゃない……おそらく愚図が落ちていく 勝つのは智略走り他人出し抜ける者」というセリフが『賭博黙示録カイジ』という漫画の限定ジャンケンというゲームのシーンで有名だが、まさにこういう要素がゲームをよりゲームらしくしているのである。
で、この選択をどうするか?というのが競馬のゲーム性の最大のウェイトを占めると言っても過言ではなさそうだった。競馬新聞とか、様々な予想がひしめき合い、その予想をすること自体がエンターテイメントとして成立しているわけである。
選択におけるストーリー性
選択には理由が必要で、その理由は様々なところに用意されている。例えば馬の年齢、種類、性格、性別、毛並み、血統、etcの要素もあるし、騎手がどのような人物かというのもポイントになる。
このような選択のための理由が様々あって、それを追っていくことは、なんとなくゲームキャラクター一人ひとりの物語を追っていくのに似ている。
ここまでまとめると、「賭けさせてゲームに否応なしに参加させる動機づくりをし、その報酬を得るためには選択を良くしないとならない。それは、自分自身の手によって勝ち取らなければならない。そのためには様々な情報収集をすることが不可避であり、その情報収集をしていくごとに、馬のことを知り、騎手のことを知っていくことになるため、『競馬』という物語に没入していく……」ざっくりいうとそんなフロー設計が、競馬というゲームには為されているような気がした。
これは、何かに似ていると思ったら、RPGそっくりなのだ。確かに金銭を賭けることはしないが、自分で情報収集をし、目標達成に近づいていくという過程で、様々な物語に触れていく……という構図がそっくりだと思う。
そして、いざレースへ
レースは観客にとっても、馬、騎手にとっても一回きりの体験となる。
今回ネットで購入して、競馬場には出向いていないが、中山競馬場には数万人の人が詰めかけていたそうで、やっぱり臨場感も一つのゲームの要素になっているのだろう。そこには当然ながら群衆の興奮という心理がはたらく。
で、いざ出走となると、まあこれがまた一瞬でレース自体は決まるわけなのだが、実況があったり、抜きつ抜かれつのレース展開があったりで、大変な盛り上がりとなり、フィナーレを迎える。
特に今回はサトノダイヤモンドという馬が序盤から中盤、終盤にかけてどんどんと差を縮め、最後は本当にハナ差という感じでトップをとった。あのあたりの「うわー最後までわからないぞ」という興奮感がやはりレースの醍醐味となる。
競馬の一連のフローを体験するまでは、競馬のレースがメインディッシュだと思っていたし、そういう側面もあると思う。ただ、今回改めて思ったのは、競馬のレースというのはゲームで言えばエンディングに近いということだ。参加者にとってすでに選択は終わっており、あとは結果発表の大舞台がレースにほかならないからだ。
で、今回自分が試してみたのは、ほぼ全く馬や騎手に関する前提知識なしで、名前のゴロとカンだけで選んでみた。つまり、競馬の一連の物語の要素なしでも、レースを楽しめるのかどうか。
これはやっぱり楽しめた。最初のゲーム性の要素で挙げたように、レースは賭けた瞬間に自分ゴトになっている。今回は11番のサトノダイヤモンドに賭けたが、どうしてもレース中、11番のゼッケンの馬がどこにいるのか目で追っかけてしまう自分がいる。この瞬間、すでに「どの馬が勝ってもいいや」という状態からは程遠く、「ひいき」が存在していることになり、ひいきがレースをしている以上、やっぱり応援せざるを得ない、注目せざるを得ないという構図になっている。
そしてその数万の「注目せざるを得ない」が集まった結果が競馬場の観客たちの歓声であり、ここにおいて競馬というゲームのフローが集大成を迎えているのは間違いない。こういう集大成的な要素を指してエンディングと表現してみた。
結構奥深いな、競馬
ここまで幾つかの点で競馬のよくできたゲーム性を述べてきたが、当然たかだか一回やった程度で競馬というゲームが理解できるほど甘くはなかったと思うが、やらないよりは全然やったほうが理解できたと思うし、大変勉強になった。
勉強になった上に一応ビギナーズラックで勝った馬券も少額ながら当たったんでお金も貰えて、なんとなくいい気分で本日を終えることができた。
明らかに何も分かってない買い方をしている pic.twitter.com/bXIXD66EcG
— Noah(のあP) (@powerofgamesorg) 2016年12月25日
また機会があればチャレンジしてみたいと思う。
「自分語り」はセックスと同じ快楽物質が放出されている
自分のことを話しているとき、いわゆる「自分語り」をしている時、セックスと同じような快楽物質が生産されているようです。
これは、対面であろうが、ネット上であろうが変わらないそうです。いやはや、そう考えるとSNSが爆発的に伸びた理由も理解できようというものですよね。
このことを知ってからというもの、自分のことを語っている人を見ると、(あぁ~今この人からセックスと同じ快楽物質が出ている……)とか考えてしまって相手の話に集中できなくなるので、全くおすすめできません。
さて、ということは、相手に気持ちよくなってもらうためには、相手のことを語ってもらえばいいわけです。相手のことを語ってもらうためには、質問が必要です。なので質問をすることがとても大事なことになるなあということを思ったりしていました。
質問力、たいへん大事ですね
でも、質問にも色々あるじゃないですか。
私がお会いする人の中には、話の引き出し方が上手い人と、そうでない人がいます。その差は何から生まれているかといえば、一つは「否定のニュアンスのない会話をすること」。そしてもう一つが「質問力」です。
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質問力については、様々な本がありますが、私が思う悪い質問は、「答えが決まっている質問」です。極端な話ですが、「今日は何曜日ですか」みたいな質問は、自分の意見を差し挟む余地を与えないと思うんですよね。
冒頭の快楽物質の話から、会話で自分語りをしてもらって相手に気持ちよくなってもらうためには、やはり相手の意見が出ざるを得ない質問をするのが良いということになります。相手にちょっと一言言わせるためにはどうすればいいか、ということになるわけです。
自己主張しすぎて結論を出してしまわない程度に自分の意見や世の中の意見も混ぜるということも重要ですが、やっぱりいちばん単純でいいのは、相手の生い立ちを聞いていくことなんですよね。
むかし、100の質問というサイトがありました。前略プロフというサイトもありました。ask.fmなんてサービスもあります。どの時代にも、「私が何者であるか」ということを語ってもらうようなサービスがあるわけで、やっぱり前のエントリでも書きましたが、みんな寂しいんだなあなんてことを思うわけですね。
このエントリはクリスマス・イブに出る予定なのですが、この時間は『この世界の片隅に』の二回目を見に行く予定なので自動更新にさせていただきますね。
「認知のゆがみ」を排除すると生産性も向上すると思う
「認知のゆがみ」というのがある。これは、うつ病などを長引かせる、または原因となるような非合理的な偏った考え方のことで、10個のパターンが定義されている。
いちいち認知のゆがみの一つ一つについて紹介することは、ここでは避けたいが、上記のリンクのような認知のゆがみが存在する。
認知のゆがみ社会
個人的に、現代日本社会は「認知のゆがみ社会」だと思っている。うつ病かそうでないかに関わらず、何かしら認知のゆがみを持っている人が多い。そして、そういった認知のゆがみが発現することで、全体の効率が下がっているという風に思っている。
例えば、代表的なのが「全か無か思考」だ。認知のゆがみにおける「全か無か思考」は、極端な完璧主義と言うかたちであらわれる。一つのミスもゆるさず、一つでもミスがあれば「0点」という姿勢である。
職場での認知のゆがみが生産性を下げる
職場でもこういった極端な完璧主義の台頭を許してしまうと、言わずもがな、完成度90%程度のものでも100%にすべくかなり膨大な労力をかけることになる。50点を80点にするより、90点を100点にするほうが大変だと言うことはよくあることだ。かつ、ユーザーの望んでいる完成度は80%程度だった、ということもよくある。過度な作り込みすぎは、結局のところコストパフォーマンスを下げると言うべきだ(あのポケモンGOですら、リリース当初はバグだらけであったことからも過度な作り込みすぎは不要であるということがわかる)。
「感情的決めつけ」みたいなものも認知のゆがみの一種で、しかも職場の生産性を下げている。感情を根拠にして行動、思考してしまうというパターンのことで、職場だとよくありがちなのが感情的になんとなくムカついたから反論してしまう、という「議論のための議論」というやつだ。こうなってくると、本来はより良いビジネス上の結論を導くために行う議論なのに、いつのまにか相手を打ち負かすことが議論の目的になってしまう。
「あるある」という感じではないだろうか。こうしたことは職場の生産性を下げており、それは「認知のゆがみ」により合理的に思考できなくなっている結果なのである。
職場の生産性は認知行動療法によって改善する
では、職場の生産性を向上させるにはどうすればいいかということだが、これはまさに「認知のゆがみ」を直すということと合致すると考えられる。
一般的に、認知のゆがみを正しく理解し、辛くなったときにこれらを直していくやり方を「認知行動療法」という風に呼ぶ。
これは、何もうつ病になったときに限らず実践すべきものだ。先程のような認知のゆがみは、何か物事がおこるたびに、自動的に発生してしまうものだ。そういった事あるたびに、自分の行動を客観的に見つめ直し、認知のゆがみがどの程度発生していたか、あるいは他人に認知のゆがみが発生していないかをチェックする必要がある。
もっとも、そのチェック機能が作用するためには、上司と部下双方が、この認知のゆがみについて理解を深めている必要がある。願わくば、自分には関係のない話だと思わずに、自分の仕事や相手の仕事が「認知のゆがみ」に左右されていないかを確かめるクセをつけていくと、より合理的な思考ができるようになり、非合理で非生産的な物の考え方が段々と減っていき、生産性が飛躍的に向上すると思われるので、是非やってみてほしい。
下記の本は、認知行動療法のなかでも結構わかりやすい本で、認知のゆがみをユガミンという形で擬人化して、そのユガミンをひとつひとつ理解したうえでどのように対処するのがいいかを述べた本なので、よければ是非。
マイナス思考と上手につきあう 認知療法トレーニング・ブック──心の柔軟体操でつらい気持ちと折り合う力をつける
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個人的にも、結構こうした分野に興味があって、今年から産業カウンセラーの資格を取得すべく勉強を開始したところである。