「さみしい」をなくすということ
ブログを毎日書くチャレンジ、10月の途中から参加させていただいてはや10/31となりました。本日は諸事情でニューヨークに来ておりますのでアメリカ時間では10/30となりますが、更新します。
ちょうど1年前、「さみしい」ということが人間共通の心理ではないか、ということについて書きました。少し見返してみて、この時思っていたことの多くは今でもそうだなあ、と思います。
人は、その時抱えている想いを完全には表現することができません。だから、人と人とは、個体が別である以上、究極には分かり合えない存在です。しかし、コミュニケーションをとったり、何かを媒介につながることで、どこか共感したりすることがある。だからこそ、人生にも色味が出てくるのだと思っています。
自分がゲームが好きなのは、ゲームを通じて人とつながってきたからだと思われます。小さいときに親と、または学校の友人と、ネットゲームでは顔も知らない仲間たちと……。いつでも、ゲームは人とつながりを持てるきっかけを作ってくれました。ゲームは「さみしい」を癒すものなのです。
この世には、「さみしい」を癒すためのものがたくさんあります。1年前のブログで引用した荻原朔太郎は詩を挙げました。今こうして書いているブログも、これを見た人と思いを共有できるかもしれないという意味で、「さみしい」を癒すということです。音楽や芸術、ゲーム、SNS、メッセージアプリ、自分を表現するということや、それをだれかと共有するということは、「さみしい」を癒してくれます。
「さみしい」を抱えた人がまだまだ沢山います。ひとりぼっちでさみしい人。人と遊んでいても、どこか心がさみしいかもしれません。こうした「さみしさ」を、この世の中から少しでも無くすということは、私の人生の中で非常に大きなミッションだと思っています。今後、自分の手掛けた製品やサービスで、どこかの誰かがさみしくなくなるかもしれません。もし、そういうことがあったら、感動で心が熱くなれると思います。ぜひそういう体験をしたいと思います。
技術はどんどん進歩しています。それによって、人々の「さみしい」が少しでも癒えるようなことが増えてきています。FacebookやLINEなどもその一つです。AIによって今後も新しいなにかが現れるかもしれません。音楽や芸術、ゲームも、そうであり続けています。願わくばその流れが加速し、伝わらなくてもどかしい思い、わかってほしい思いを抱えている人が満足するような世の中を作れればな、という風に思っています。