続・のあろぐ

ゲーム、漫画、アニメで社会を豊かにしたいNoahの個人ブログ

「ドリームキラー」とは何か、その対処法

本読んでたら、「ドリームキラー」という概念が紹介されていて、なるほどと思ったのでメモ。

ドリームキラーとは

あなたが夢や目標を抱くと、必ずと言っていいほど誰かが「そんなのできっこないよ」「やめといたほうがいいよ」などと言ってくる。そう言ってくる人は、大抵親しい友人や親、先生など、自分の近くにいる人で、あなたの為を思って客観的評価としてアドバイスをしてくる。こうして夢や目標を諦めさせようとする人のことを、「ドリームキラー」というらしい。

結局のところ、ドリームキラーになる人の多くは、現在と過去を結ぶ線、その延長にしか未来がないと考えている。そうすると、過去に結果が出てなくて、現在も結果を出していない人は未来にも結果が出ないだろう、という論理の帰結をするのだという。

これを聞くとなるほど、と思う。確かに自分の周りにも、ドリームキラーというのはいる。かつて自分が大学受験をするとき、志望校に受かるための偏差値のギャップは30ぐらいあった(30以上は上げないと受からなかった)し、過去の成績や頑張り方を見ていても、どうもこいつはやる気あるんだろうか?と思われてもしょうがないぐらい成績が悪かった(ただし自分の名誉のために言っておくと、国語だけは何もしなくても全国数位以内に入るレベルだった。なのに全体の偏差値が悪かったということは他の科目がどれだけ悪かったのか推して知るべしだとは思うが)。

ドリームキラーへの対処法

こうした状況で、親は志望校をもっと下げたら、とか、父親に至っては「そんなに勉強しても意味ない」とまで言い出す始末で、大変困った。担任の教師はといえば、実は結構応援してくれていた。のだが、春先には少しだけ志望校をさげないか、と言われたことがある。というのは、その大学に行きたいだけなら、もう少しだけ偏差値が低くても入れる学部があるからそっちにしてはどうか、というものだ。それは合理的に見えたが、私は断固反対した。結局、まだ1年弱ある受験期間で、まだスタートしたばかりなのに目標を下げることを考えていたら、結局その分だけ努力しなくなり、ズルズル行くと思ったからだ。ただ担任の言うことには一理あったし、一回反対したところなら頑張れ!応援するぞ!みたいな感じでかなりアツく応援してくれたので、一番のドリームキラーは親であった。

こうしたドリームキラーに対してどう対処するかというと、対処方法は二種類ある。ひとつは、言い逃げすることだ。こういうことを目指している、と言ってあとは耳をふさぐかのごとく、目標達成のための努力はドリームキラーの目につかないところでやる(自分の場合は勉強部屋もなかったので、嫌でも勉強は外でやるしかなかった)。

ただ、多くの場合は、目指しているものを開示することによる効果はほとんどない。目指しているものを開示するというのは、結局のところ自分が安心するためでしかない。高い目標を掲げて、そんなに高い目標を掲げているあなたはすごいね、頑張ってねとか言ってほしいわけである。ただ、その試みはなかなかうまくはいかない。

だったら、最初から言わなければいい、というのがもう一つの対処法である。これはなかなかうまいやり方で、面と向かって何かを目指しているなどと言わなければ、何かを言われることは理論的にはないわけで、もし「何をやろうとしているのか言え」と言われた場合には、ウソを付けばいいのである。それも、一番ドリームキラーが満足しそうな答えを用意しておくのがいいし、なんならあらかじめどうしてほしいのか聞いておいて、「奇遇ながら私めもそう思っておりました」とでも言っておけばいいのである。

夢や目標が荒唐無稽であればあるほど、叶えたくなるものだし、周囲の人の反対や反発も当然強くなるだろう。しかし、もしどうしても叶えたい夢があるなら、人に軽々しく言うのはやはり禁物だという気がする。

 追記:

ちなみに、志望校には秋時点でA判定が出て、合格してから開示もしたが、合格者の平均点よりかなり上で受かっていた。やはり夢や目標というのは、諦めたものの一人負けであると思う。

今年買ってよかったもの5選(2016年版)

5選といったものの、これから考えます。

最近に始まった話ではないけど、「モノ」よりも「コト」消費のほうが圧倒的に楽しいし、満足感が高くて、そういう意味で言うと例えば『この世界の片隅に』とか『君の名は。』とか『シン・ゴジラ』とかは非常に消費としてコストパフォーマンスが良かったといえます。

あとはVRZONEとかの体験も非常に良かったかな。それから出張でニューヨーク、ボストン、サンフランシスコと回ったんだけど、ニューヨークで見たミュージカル『Kinky Boots』はとても良かった。

そんな感じでほとんど体験が、買ってよかったものを占めるなかで、モノで買ってよかったものって何なのかというのを考えてみた。とりあえずほぼ日のあのコートは買ってよかった買い物だけど、普通にAmazonで手に入るもので考えたい。

1.Yogibo Max

Yogibo Max (グリーン)

Yogibo Max (グリーン)

 

これは個人的に良かった。とりあえずぐったり寝っ転がりたいときとかにめっちゃ便利だと思う。いわゆる「人をダメにするクッション」みたいなやつです。髪の毛とかつくので部屋はちゃんと掃除しておかないといけない。

2.ブラーバジェット240

フローリングならルンバと同じ会社からでているこっちもオススメかもしれない。いわゆるクイックルワイパーみたいな感じで床のほこりを拭き取ってくれる。水を入れるところがあって、自動で水拭き掃除もしてくれる優れものなロボット掃除機。結構コストはかかるかもしれないが、自分で掃除機をかけたくないなまけものくんなわたしにピッタリでした。

3.Surface Pro 4

 これは手軽でよかった。レビューはこちらに書きました。

noahp.hatenablog.com

でも昨日電源がつかなくなったので、買ったビックカメラに持ってかなきゃいけないんですけどね・・・

4.カピバラさん(EDWINコラボ)

カピバラさん×EDWIN ぬいぐるみ M 全長約28cm

カピバラさん×EDWIN ぬいぐるみ M 全長約28cm

 

 カピバラさんがEDWINとコラボ。EDWINのジーンズをはかされていてとてもかわいい。見てるだけで気持ちがほっこりしてくるのでオススメ。

5.温素 琥珀の湯

アース製薬 温素 琥珀の湯 600g

アース製薬 温素 琥珀の湯 600g

 

 今年はめっちゃ色々入浴剤を試したのだが、個人的にはこの入浴剤が一番よかった。肌がしっとりするしなんか個人的にはこの薬臭い感じの匂いが効いている感じでたまらん。いい感じであったまる。

 

ということで5つなんとか紹介できてよかった。

でもやっぱり、モノに対する意欲がなさすぎて、他に買ったものって本当にないんだよなあ。あ、Pokemon GO用にと思ってpebbleとかも買ったけど結局使わなくなってしまったな……

来年は結局「新しいもの」とかは結構買うと思うんだけど、その中で絶対良かったなって思えるものって少ないんだろうなあ、というのは思う。多分、Pixelは買うし、Amazon Echoみたいなやつ(Googleからも出てるけど)も買うだろうし、あとはAR系の機器で何か買うかもしれない。そういうインフラになりそうなものと、賭け的にお金を捨てるような気分で買うもの、あとは体験を買う、そんな感じになるんだろうなあ、と言うのはなんとなく思うところ。

じゃあどんなのだったら価値ある記事なのよという話

世の中大変な事になっている。

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もともとはWelqというメディアで、医療系の記事に医者が監修してないし信憑性が全くない記事をあげるのはけしからん、という話だったはずだ。

しかし、いつの間にやら大延焼を起こしていて、安くライターを買い叩いて人様のメディアからパクった情報をさも自分のメディアのオリジナルかのように流して、検索エンジンの上位を取る技術だけに長けているからそういうところでPVを稼いでけしからん、というところまで来ている。

というか、更にいうとどうやら話はそれで終わりそうにないっぽい感じが出てきているが、その点は続報を待ちたい、いわゆるキュレーションメディア問題。

ここではそういう話をするのはほぼ無益なので、逆にウェブ空間に上がる記事として、どんな記事が世の中に価値を持つ記事なのかということを考察してみたいと思う。

1.新しい知識や情報を提供する

これは文句なしに強い記事だ。世の中に今までなかったものを提供する行為だ。ニュース記事や、論文などがそれにあたる。ただ、実際には実は「一番最初」ではなくても良い。なぜなら、ネットとリアルには違いがあって、「リアルでは起こっていることなのにまだネットで情報がないこと」というものがありうるからだ。例えば火事が起きていて、そのリアルな現場では何かが起こっているのに、どこで何が起こっているか、どの店が燃えているのか、という情報がなかったり、電車が遅延しているというリアルな情報が、ネットにはなかったりということが起こりうる。こうした「リアルに起こっているがネットにない情報」をもちろん正確さをもって提供することは非常に有用だ。

 

2.生の情報を提供する

「logmi」というウェブメディアがある。今回のDeNA記者会見でも大活躍していたが、講演や会見などの音声情報を単に文字情報として提供している。こうしたネット情報にも一定の価値が認められる。音声で聞くより文字で読んだほうが圧倒的に早いからだ。

また、生の情報という意味では、インタビューなども価値がある。インタビューに価値があるのは、生の情報で妄想ではないことが確定しているからだ。ただし、インタビューする人かインタビューされる人、あるいはその両方にバリューがないと相応のバリューしか生み出さない。

 

3.これまでになかった切り口を提供する

今まであった情報から、「その視点はなかったわ」という指摘をすることができる書き手が極稀に存在する。往々にして変人である場合もあるが、そういった人は一部からカルト的な人気を持っていたりする。

まあ、そこまでではないにしても、例えば映画やゲームなどの批評などもその一種でありうる。自分の過去の経験や知識などから、ある対象物を分解し、整理するという試みは一定の価値を持つ。そうか、そういう見方もあったのか、という形で読者に「なるほど」感を与えることができる、という記事は大変に意味がある。「読み物として面白かった」などという感想が出てくるのもこの類の情報であろう。

 

4.難しいものをわかりやすく噛み砕く

いわゆる池上彰氏がやっているような情報スタイルである。余談だが、池上氏はいくつもの新聞を購読し、毎日ちゃんと目を通しているという。こうした情報摂取から、ある対象読者(あるいは視聴者)に対し、その人の知的レベルや知識レベルに合わせた言い方や持っていきかたで難しい話題をちゃんと噛み砕くのである。

最近のワイドショーとかは、こうした技術が非常にうまくなってきていると感じる。というか、こういうのをある種本来的な「キュレーター」というのではないか、とも思う。

特に個人的に有用だと思うのは、科学系とか経済系とか法律系とかの論文を素人にもわかりやすく噛み砕いてくれたような記事で、もちろんこういう場合に真の意味での引用は必要だと思うが、大変有用である。

 

5.他の言語で書いてあるものを翻訳する

これはかなり取扱い注意なのだが、英語だけでなく例えばロシア語とかアラビア語で書いてあるものを日本語に翻訳してくれて読めたりするととても嬉しかったりする。念のため書いておくと、単に英語で書いてある記事を書き手の許可もなく日本語に訳して公開するのは、これはパクリと同じである。

 

こうした記事が非常に役立つ。

ちなみに、別の切り口として、「質問に答える記事」というのは非常に有用であり、それは「5W2H」のフレームワークで漏れなく整理できるのだが、これだけ書けば十分かと思うので特にこちらは言及しない。

あともう一つ言っておくと、いちいちこれという言及はしないが、マナーを守った記事を書くのは当たり前のことであるので一応付記しておく。

 

ウェブでメシを食うということ

ウェブでメシを食うということ

 

 

いいもの食べていいうんこを出す人生が送りたいものだと言う話

人間の人生は基本的にうんこだと思うんですよ。

いや、人生=うんこなんじゃなくて、出したうんこの良さとか満足感って大事だって話なのですけど。

ここでいううんことは「アウトプット」です。

いいうんこ、すなわちアウトプットとは何かと言うのは本当に人によるので、自分自身で満足できるうんこであればいいんだと思っているんですけど、上質のうんこを出すと、そのうんこには人が集まって来てくれるんですね。

例えばレオナルド・ダ・ヴィンチは、モナリザという素晴らしいうんこを出しました。

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このうんこは、200年以上の間ルーブル美術館という人のうんこをたくさん飾ってあるところに展示されており、年間500万人もの人がうんこを観に訪れます。

芸術が一番うんこ性が高くて、なんていうか自分の中では精神的に苦しんだり、悩んだり、または楽しんだりした時に、その発露として出したうんこはゴールデンうんこだと思っているわけですよね。

基本的にうんこを出すということは気持ちのよいことで、それまで色々モヤモヤしていたものが全部うんこに集約されて全部出しきったときはもうものすごい開放感がある、という仕組みになっています。じゃないと、みんなうんこを出したいと思わないですから。

さて、じゃあこういったうんこを出すとき、いいうんこを出すためにはどうすればいいのか、という問題があります。

個人的には、やっぱりいいうんこを出すためにはいいもの食べてないと出すことはできないと思うんですよね。

ここでいういいものとはインプットです。

いいもの、というのもこれもまた人によるので、一概に何とも言えないのですが、フランス料理ばっかり食ってればフランスっぽいうんこが出るはずなんですね。多分。

だから、自分でこれはと思う上質のものばかり食べている人はやっぱりうんこも素敵なうんこが出ますので、そのうんこにちゃんと人が集まってきてくれます。

もっと言えば、そのうんこを食べた人がまたいいうんこを出してくれるという仕組みになっていたりしますよね。

本とか読んでても思うのですが、ああこの本は内容が薄い、とか思うときは、いい感想はかけないんですよね。映画でもなんでもそうで、やっぱり感動するほどのうんこを食べた人がまたいいうんこを出せる仕組みになっているのではないかなあと。

あと、消化力も重要ですよね。オリジナリティを出すためには、やっぱりちゃんと食べたものを消化しないと、そのまんま出てきたりなんかして。

そんなわけで、いいもの食べてちゃんと消化して、いいうんこを出す人生が送りたいものですね。

以上です。わたしのうんこたるこの文章を読んでくれてありがとうございました。

「この世界の片隅に」を観てきた(ネタバレなし)

この世界の片隅に」を観てきました。テアトル新宿にて。

上映映画館はこちらから。だんだん拡大しているとはいえ、まだまだ多いとはいえないです。

eiga.com

新宿ではテアトル新宿のみ。日曜、18時25分上映のものは17時45分ぐらいにいったらすでに満席で、立ち見席しかない状態。自分は予約していたので大丈夫でしたが、予約にしても金曜日の昼には8割ぐらい埋まっていました。まあ、要するに大人気です。

テアトル新宿ではたんぽぽ茶が飲めます。300円。森永のミルクキャラメルがつきます。この辺は微妙にストーリーと関係してますが、まあ微妙にという程度です。

で、映画の感想なのですが、うーんなるほどという感じです。これはいい。大衆向けに寄りすぎてはいない作品で、でも年配の方も含めて笑ったり泣いたりできる作品です。

戦争の時代を題材としていて、その時代に生きるすずという少女を中心に物語が描かれます。とてもその時代の描写がリアルです。

一番良いなと思ったのは、So What?の不在です。戦争を題材にすると、なんかこう、主義主張みたいなものが入ることが非常に多いような気がしています。不必要に「いいタイミング」で人が死んだりとか、演出で泣かせたりするみたいなのとか、そういう演出が兎角戦争を題材としたフィクションでは多いのですが、『この世界の片隅に』では、そのあたりが非常に素朴に描かれていて、「だからこうだ」というものを押し付けてきたりしない。このあたりは非常に配慮ある描かれ方だと思います。

ところで、私の祖母はもう90近いのですが、戦争経験者です。祖母の母は、戦争で亡くなりました。しかも、祖母の誕生日に空襲で亡くなったと聞いています。祖母がまだ10代の頃です。

祖母は時々最近、戦争の時どんな感じだったかというのを私に聞かせてくれるのですが、それまでは「つらすぎて、言えなかった。思い出したくなかった」と言っていました。それほどまでに、辛いのですが、それでも誰かに伝えておかないといけないという危機感のような思いから色々言っていくことにしたそうなのです。

そういう人から見ると、例えば祖母から見るとこの映画はどういう受け取り方をするんだろうか、と思いながら、『この世界の片隅に』自体は私の目から見れば非常に名作だと思ったのですが、祖母からしたらどうだろう、と思いながら映画を観ていました。

戦争を体験していない人にとっては、この話は非常にリアリティをもったアート、表現作品として観られるだろうと思うのですが、祖母にとっては、リアリティを持ちすぎていて、観ていて辛いかもしれない。いくら、すずが明るい性格として描かれているとはいえ、この話はあまりに、同時代に生きるひとにとっては。

やや複雑な思いでしたが、祖母がもし興味を示すようであれば、観てもらって感想を聞きたいなと思っています。

 

 

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 

 

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

 

 

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

 

 

「さみしい」をなくすということ

ブログを毎日書くチャレンジ、10月の途中から参加させていただいてはや10/31となりました。本日は諸事情でニューヨークに来ておりますのでアメリカ時間では10/30となりますが、更新します。

noahp.hatenablog.com

ちょうど1年前、「さみしい」ということが人間共通の心理ではないか、ということについて書きました。少し見返してみて、この時思っていたことの多くは今でもそうだなあ、と思います。

人は、その時抱えている想いを完全には表現することができません。だから、人と人とは、個体が別である以上、究極には分かり合えない存在です。しかし、コミュニケーションをとったり、何かを媒介につながることで、どこか共感したりすることがある。だからこそ、人生にも色味が出てくるのだと思っています。

自分がゲームが好きなのは、ゲームを通じて人とつながってきたからだと思われます。小さいときに親と、または学校の友人と、ネットゲームでは顔も知らない仲間たちと……。いつでも、ゲームは人とつながりを持てるきっかけを作ってくれました。ゲームは「さみしい」を癒すものなのです。

この世には、「さみしい」を癒すためのものがたくさんあります。1年前のブログで引用した荻原朔太郎は詩を挙げました。今こうして書いているブログも、これを見た人と思いを共有できるかもしれないという意味で、「さみしい」を癒すということです。音楽や芸術、ゲーム、SNS、メッセージアプリ、自分を表現するということや、それをだれかと共有するということは、「さみしい」を癒してくれます。

「さみしい」を抱えた人がまだまだ沢山います。ひとりぼっちでさみしい人。人と遊んでいても、どこか心がさみしいかもしれません。こうした「さみしさ」を、この世の中から少しでも無くすということは、私の人生の中で非常に大きなミッションだと思っています。今後、自分の手掛けた製品やサービスで、どこかの誰かがさみしくなくなるかもしれません。もし、そういうことがあったら、感動で心が熱くなれると思います。ぜひそういう体験をしたいと思います。

技術はどんどん進歩しています。それによって、人々の「さみしい」が少しでも癒えるようなことが増えてきています。FacebookやLINEなどもその一つです。AIによって今後も新しいなにかが現れるかもしれません。音楽や芸術、ゲームも、そうであり続けています。願わくばその流れが加速し、伝わらなくてもどかしい思い、わかってほしい思いを抱えている人が満足するような世の中を作れればな、という風に思っています。

若干気になってる書籍「エフェクチュエーション」

最近は起業家研究というのが話題だそうで、自分も興味をもってこのあたりのことを見ています。そこで、気になっている本がこの『エフェクチュエーション』です。

エフェクチュエーション (【碩学舎/碩学叢書】)

エフェクチュエーション (【碩学舎/碩学叢書】)

 

 まだ読む前なので、大まかにしかわかっていませんが、不確定な状況下で、起業家がどのように、どんな事業を推進していくのか、ということをプロセスとして研究している本のようです。

エフェクチュエーションの公式サイトというのがあって、それに色々とまとまっているようです。

Effectuation: Society for Effectual Action

従来の理論では、市場分析を行い、正しい方法でマーケティングを行うというのが重要でしたが、このエフェクチュエーションでは、そもそも起業家が対象とするのは未知の市場であり、どんな可能性が眠っているのかがわからない。したがって、すでにある市場を見て合理的な判断をするのではなく、もっと創造的な手法をとる必要があるというのが、この本の主題のようです。

まだ読んでない段階なので疑問とかをここに書いておきたいのですが、そもそも、起業家のプロセスを明確に示せるもので、合理的なフレームワークと言えるかどうか、見てみたいと思います。全体として単なるマーケティング理論にとどまらず、もう少し大きな目線で見ている内容のように思うので、全体的な構成の把握なども行いたいと思っています。

エフェクチュエーション で関連のウェブサイトを調べると、以下のようなサイトが出てきます。

http://www.mcp-jp.com/marke_blog/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A7%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3/

 

president.jp

不確実性の高い現場では、とにかく何が起こるかわかりません。このあたりのことは、ゲーム業界にもいえることで、任天堂の故・岩田社長も常々、ゲーム業界は先に何が待っているかわからないから覚悟が必要だというようなことを仰っていました。こういった業界で、既存の考えにとらわれるようなマーケティング手法は、確かに若干不要といってもおかしくはないのかもしれません。とにかく読んでみて、その結果をまたシェアしようと思っています。