続・のあろぐ

ゲーム、漫画、アニメで社会を豊かにしたいNoahの個人ブログ

星新一の思い出

はじめて自分で一冊読みきった小説は、5歳か6歳のときに留守番をしていたときに父親のを拝借して読んだ赤川次郎の『セーラー服と機関銃』だった。
星新一を読んだときはそれ以上のインパクトを感じた。確か小学3年生のときだったと思う。
そのあと、何冊も何冊も読んだ。当時通っていた塾に貸し出し図書コーナーのようなものがあり、そこで何冊も借りて読んだ。おそらくは、全ての星新一作品を読破したと思う。新潮文庫の黄緑の背表紙を見ると今でも不思議な感覚に陥る。
星新一の何がそんなに良かったかといえば、そのニヒルな世界観と、さくさく読める手軽さ、さらっとして知的な文体、落語のような秀逸なオチのつけ方、どれを取っても自分にとっては最高だった。
というわけで最近また読んでいる。Kindleで今は読める。星新一の夢想した時代に、また一歩近づいているのかもしれない。『ボッコちゃん』『きまぐれロボット』と読み進め、いまは『妄想銀行』を読んでいる。やはり今読んでも秀逸だ。子どもの時の僕はこれをどのように読んでいたのだろう。

そんなことを考えているうちに、ふと昔のことを思い出した。地元の箱根そば星新一の本を読みながらうどんを食べていた。母親は席を外していたように思う。小学4年生ぐらいのときのことだ。
向かいの席に中年から初老ぐらいだろうか、スーツを着た優しい紳士のような雰囲気の男が腰かけて、「こんにちは」と言った。その瞬間、この人は星新一かもしれない、と思った。小説についている顔写真よりは見た目若く見えたが、よく似ているように思った。
ただ、どう考えても本を読んでいる子どもにいきなり声をかける中年男性はあやしい人なので、当時の僕は何も返答せず、会釈のみ返した。
その後すぐ母親が戻ってきて、特段何も起こらなかったしその紳士もどこかに消えていた。

その何ヶ月か後に、星新一が亡くなったとニュースで見た。
あの紳士が星新一であった可能性はほぼゼロに等しいと思うが、もし星新一だったとしたら、そりゃ自分の書いた小説を子どもが夢中で読んでいたら、声のひとつもかけたくなるだろうな、とは思う。
なんか星新一でない可能性の高い人間に星新一への思いを馳せている気がするが、とにかく僕の中では星新一は偉大な存在であり、明らかに僕の人生観の一部(と、もしかしたら文体の一部)は、星新一の作品でできているのである。

目標を達成して成功する技術について、3つのポイント

新年なので目標を新しく立てて、それに取り組もうとしている人も多いと思います。

しかし、新年の目標というのはとにかく崩れやすい。いや、人生そのものの目標もとにかく達成しづらく、なんでいつもこうなっちゃうんだろう?という方も多いのではないかと思っています。

私もそうなのですが、幸いにして(?)私の周りには、多くの「目標を立てて、それを着実に実行している人」がいます。その人達を見ていて、自分なりにどのようにすれば目標が達成されて成功できるのか、について考察してみます。

1.目標を達成可能なものにする

いきなりなんだよ、当たり前だろうと思われるかもしれませんが、例えば「今年中に1兆円稼ぐ」とか、絶対無理(であろう)と思われる目標というのも存在するであろう、ということを考えると、やっぱり達成可能な目標の程度というのはあるわけです。

そういう意味で考えておかなければならないのは、「1年スパンの目標は忘れがちである」という事実です。1年後にどうなっていたいか、ということは立てたほうが迷走セずに済むとは思いますが、長くても1ヶ月単位ぐらいでの目標というのも、1年の目標をブレイクダウンする形で立てておいたほうがいいでしょう。

2.行動して失敗する

これも当たり前だろうと思われがちですが、みんな行動しないんですね。なぜ行動しないか。これは最初に挙げた「目標を立てる」こととも関連しています。目標が大きすぎて、まず何をやったらいいのか、がはっきりしなくなるのです。もしくは、目標に関連しないようなことばかりやって、勇気を出してがっつりと目標に関連することを避ける。例えば「今年は大型資格を取る」ということを決めたとしても、最初に何をやったらいいのかわからない。そこに至るまでの道筋がわからなくなるので、結果的にやる気をなくしてしまう。目標が漠然と「成功する」とかにしていても、何が成功かをしっかりと明らかにしておかないと、「まずは毎朝走ろう」「まずは筋トレをしよう」などのように、「単に何か努力をすること」という方向に向かっていってしまいます。重要なのは、目標に直結しているような行動を取ることです。失敗する人は目標をコロコロと変更し、目標に直結しないようなところでウロウロし、クヨクヨと悩んでいます。

重要なのは失敗してもいいから行動して、その結果として失敗のパターンをとにかく収集することなのです。ただし、死んでしまうような大失敗は避けるということは大原則。

3.失敗を二度と繰り返さないようにする

最後のポイントが一番重要だと思います。失敗を繰り返さなければ、同じ失敗をしなくなるということです。目標を立て、それに向かって行動し、そこで失敗したことは二度と失敗しないようにして行動する。このことが、成功している人は綺麗な形でサイクルとして回っていると感じます。

これは、実は大学受験とか、勉強でも同じことがいえます。いくらやっても成績が伸びない人は、明らかに同じ問題で間違いを起こしています。逆に成績がグイグイ伸びていく人というのは、合ってる問題は気にしません。間違った問題のみを収集して、徹底的に間違えた理由を確かめ、反復練習し、次は絶対に間違えないようにしています。大学受験だけではなくスポーツや音楽などでもそうでしょう。このように、「失敗を繰り返さない」ためのトレーニングをいかにして積めるかというのは、成功の大きな鍵となっているように感じます。

まとめると、

1.目標を達成可能なものにする

2.行動して失敗し、失敗を収集する

3.失敗を二度と繰り返さないようにする

ということが重要です。いずれにせよ、楽しんでやらないことには続かないので、ワクワクするような選択肢を自分で用意していくことが大事かなと思います。

では、このためにどうすればいいのか?ということを、もし時間ができたら又の機会に書いてみたいと思います。

2016年のテーマと抱負(また後ほど更新)

今年のテーマ:Memento Mori(死を想え)

明日死んでも後悔しないか。どうせ死ぬなら楽しんで。

今年一年やりきったなあ、と満足できる一年に。
自己指向!自分の意見はどうなのか

1.素朴で綺麗な言葉を使う

2.健康

3.切り替えを早くする

4.謙虚。成功を語らない、自慢しない

5.人から頼まれていないことをやらない

6.信用するのは行動だけ。信用されるのも行動だけ。

→ごめんとか、ありがとうとか、口ではなんとでも言える。行動のお返しは行動で払うしかない。

 

まだ違和感があるので、思いつくままに更新していく予定。

【駄文】新年に思うこと

2015年が終わり、2016年がやってきた。今年は申年だそうで。

こうしてはてなブログの編集画面を起動して、何を打とうか考えつつつらつらとキーボードを叩いている。気づけば1月1日ではなく、すでに1月2日になってしまっている。

3が日中には更新しよう、と決めたからこうしてブログをなんとか書いているけど、そういう特別な日でもない限り目標を立てたりなんかしないし、もっと言えば目標を立ててそれを守り通すということは、なかなか難しいという感じもしている今日このごろ。

あまり難しいことは考えずに生きたいな、なんて思ってはいるのだけど、小難しいことをごちゃごちゃと考えるのが半ば人生の趣味、クセみたいになっている。

2015年の年末も、結局いつもと同じようなことをゴチャゴチャゴチャゴチャと考えていた。

共感してもらいたいだけだ

さて、年も開けてしまったけど、2015年はどんなことを行い、そして考えていたのだろうか、と振り返ってみる。

「ど」がつくほどプライベートなことは、今年からつけようと思っている紙の日記に書こうと思っている。そうすると、このブログで皆さんに言わなきゃいけないことはなんなのか。不特定多数(あるいは、見てくれるであろう特定の知り合い・友人たち)の皆さんと共有しておきたいことというのは、一体何なのだろうか、と考える。

そうすると、結局のところ、共感してもらいたいことを書く、今の思いを書く、ということが、できることのように思う。私の今年あったこととかを書いたところで、私のファンみたいな人が居ないかぎりは別に何の役にも立たないものであろうと思うが、もしかすると、私が私個人の「思い」をこうして少しでも言葉に書いて、インターネット上に載せることで、これを見た誰かが、「あぁ、私もこういう風に感じたことはあるよ」と思えるような結果が生まれるかもしれない。それは「共感」だ。

わたしは、共感してもらいたい。だからこうして、インターネット上に文章を書くのだ。その動作は、自分の伝えたいことを書いた便箋を瓶につめて、大きな海に流すような動作に似ている。いつの日か、誰かがこの文章を見て、何かを感じたらいいな、とかそんな淡い期待をこめて、わたしはキーボードを打っている。

「事実」と「感じること」の比率

今年起こったこと、というのを分類、整理してみるという作業はなかなか難しい。特に2015年という年はそうだったように思う。

なにしろ、正直な話最初の実感としては「漠然と過ぎていった」という感じ。いや、年々その感覚は強まっている。もっと若いころ(今も十分若いと信じていたい)は、今年はあれもあった、これもあった、なんていうことを日々思い出していたものだったし、仲間が周りにいて、みんな同じようなことをやっていて…っていう感じの日常を過ごしてた。

もっと具体的にいえば、中学・高校の時の友達にずーっと囲まれて、ゲームとかして過ごしていた毎日だった。

あれはあれで幸せだった。なんというか、「生きていることってなんだろう」みたいなことをあまり感じず、難しく考えず。その日あったことを、何というか・・・事実を事実としてとらえていた。それについてあまり深い解釈を加えるようなことをせず、ただひたすらに、その時あったことを楽しんでいた感じで、それが正しいとか間違っているとか、そんなことを考えずに過ごしていた。

ところが今は、自分の一挙手一投足について、だらだらだらだら・・・と考えて、歩みを止めてしまっている。

こうしてブログを書いているときすらそうだ。昔だったら、「去年はこんなことがあって、あんなことがあって、云々・・・」という風にまず事実を淡々と羅列して、「まあ総括すると◯◯でした!」とかなんとか、ともかく「事実」と「思ったこと」の割合は9:1ぐらいで、事実ベースでものごとを考えていた。

今は、事実として起こっていることが先ではない。思ったことベースだ。「思ったこと」と「事実」の割合は、いまたぶん8:2ぐらいで思ったことのほうが優先している。起きたこと云々ではなくて、自分の感情がどうなのか、ということをいちいちチェックしているのかもしれない。

現状には不満、未来どうしたいのか?

こうして書いていても、「具体的に何がどうなってそういう感情になっているのか」が、読者の皆さんにさっぱりわかっているような感じはない。つまりこれは、誰かの共感を得ることはない、単なる「個人的なメモ」にすぎない、ということになる。

しかもこのメモは、恐らく何年か後に自分が読み返す事になったとしても「この当時何を考えていたのだ?全然わからない」ということになりそうな気がする。いや、むしろ、それを望んでいるのかもしれない。

結局何がいいたいのかと言うと、「私は現状に大いに不満がある」ということだけだ。歩みを止めてみた時、何が、なのかはまだわからないが、今この感覚で、大いに不満がある。それは仕事なのかもしれないし、プライベート、あるいは他のなにか、なのかもしれない。とにかく、まだ魂を燃やして生きているという感じがしないのである。

ということをつらつら考えるに、おそらく2015年というのは、「私は現状に不満である」ということをじっくり考える年になった。いや、2015年のあいだじゅうそんなことを考えていたわけではなかったから、2015年12月末から1月の現在ぐらいまでに、考えた結果そうであった、ということかもしれない。とにかく今、現状にまだまだ満足していない。じゃあ今「現状」とは何なのか。どうしたいのか。それは、今この段階で全く見えていない。これを整理しなきゃいけない、と直感的に思う。

「戦い方シフト」

過去を振り返る時間というのは、長く生きれば長く生きるだけとらなきゃいけなくなってくる。だからこそ、振り返る過去のない若いうちに、なりたい自分のことを考えるようにしないといけない。未来だけを向いて生きていくには、過去はときに振り返らないほうが良かったりもする。けど、たぶん自分もこの歳(今年はついに30歳になる)になってみて、「戦い方」の変更を迫られてるんだろうな、という気はする。つまり、「過去を振り返らない」のではなく、「過去を振り返り、そして生かしていく」という、経験を活かした戦い方へのシフト、がうまくできるかどうか、という一年になるような気がする。

とりあえず今日は、もう10年目ぐらいになるかもしれない、中高の部活の仲間たちと鶴岡八幡宮(ここで初めて固有名詞がでるあたり、この文章にいかに「具体」がないかということでもある)に行ってくる。だから、2015年のまとめと2016年の抱負は、少し持ち越し。

きっと今日明日には、どうにかこうにか、書くことをするだろう。それはきっと、なんとか絞り出して「事実の羅列」を行うような文章だ。去年はあれをやった、これをやった。今年はあれをやる、これをやる。いまはまだ、その事実の羅列はむなしいだけだ。その事実の羅列がわたしの感情と、心情と一体化する日はくるのだろうか。わたしは、今年一年にやるであろう「事実の羅列」が、私の感情と一体化して、今年一年満足したなあ、よく生きたなあ、と思えるような年末が、もう一年後には訪れているであろうことを、願ってやまない。

「いまどきの働き方」は変化しつつあるという話

ぼくはシェアハウスというか、友人と何人かで一軒家を借りてそこに住んでいます。

そこの同居人の後輩さんも交えて今日、ちょっと話をしました。話の中身としては、VRの話とかをしていたのですが、そこで話した内容の中でぼくが今日一番しみじみと興味深かった話は、「働き方」の話でした。

まず、同居人の方はIT企業に勤めながら、地方の古民家を活性化させるというWEBを使ったプロジェクトをほぼ趣味で、ご友人何人かとやっているそうです。

そしてぼくも、企業に勤めながら、趣味的にいろんなサイトの運営や戦略を考えるということをやっていたりします。

思い返すと、過去に出会った人は、自分の職業以外に、なにか自分の「サブプロジェクト」みたいなものを持っているケースが結構多いものだということに改めて気付かされました。

勘違いしてほしくないのは、ここでぼくは、「サブプロジェクトを持つことが素晴らしいから、みんなサブプロジェクトを持つべきだ」と主張する気はないということです。

むしろ、その逆と言うべきかもしれません。すなわち、「みんな本業に必ずしも満足していないのではないか」ということです。

製造業なんかでは、とっくのとうに聞く話ですが、製品のクオリティはもう上がるところまで上がってきてしまっていています。いくら努力しても、もはや製品的に他社を圧倒する存在にはなれない。携帯電話とかはもうほぼ完成したプロダクトになっていますし、例えば音楽プレイヤーやテレビみたいなものも、もはやなにか新しい機能をつければ売れる、みたいな世界でもなくなってきています。多少小難しくいえば、「もはや付けて意味のある付加価値がなくなってきている」のかもしれません。

その流れが実はITの世界にもだんだんと来ているのかもしれません。一昔前は、WEBサービス乱立の時代みたいなのもあったような気がするのですが、最近は(ぼくのアンテナが鈍ったせいもあるのかもしれませんが)目の醒めるようなWEBサービスって、あまりなくなってきたような気がしています。WEB世界も、「大体もう満足」みたいな世界に差し掛かってきていて、あとはもう細かいニッチなニーズを埋めるような作業になってきている、とも考えられます。

こうなってくると、まあ言うまでもなくつまらないです。人は目に見える成長や成果がないと、なかなかやる気になりませんし、自分の仕事一つで「何か世界が変わっている」みたいな実感は、もはや持てなくなってきています。かけた労力に対して、あまりに世界が動かなさすぎるのです。

そうすると何が起こるかというと、誰もが「自分の手触り感のある何か」を持ちたがる。小さな何かでいいから、自分で動かしていると実感を持てる何かが欲しいのです。それでみんな、サブプロジェクトみたいなものを持ち出すのです。ここで副業と言わないのは、そこで求められているのは、必ずしも金銭的な対価ではないからです。

そうやってみんな、満たされないものを埋めようとしている。

で、ここで「じゃあみんな仕事をやめてサブプロジェクトだけに専念すればいいじゃない」ということに思い当たるかもしれませんが、ことはそんなに単純でもない。

サブプロジェクトは、極めて小さいニッチなニーズを満たしていたり、あるいはニーズなんてそもそも考えていなかったりするので、基本的にお金が儲かっていないという人が大半でしょう。

ですから、大体の人は、「仕事で若干の満たされない思いを抱えているが、それは空いた時間に何か別のサブプロジェクトを動かすことで解消している。その代わり、生きていくためのお金は仕事で稼ぐ」というような状況になり、その状態が考えうる限り一番バランスの良い選択だったりする、というのが現状ではないかなあ、なんていうことをぼんやりと考えていました。だってサブプロジェクトでは稼げない。けど仕事をやっているだけでは満足できない、そんな現状です。ぶっちゃけ、そういうことをしていない人は、会社で働いていてもほとんど閉塞感しか感じていないみたいな人もいて、うつ病とかになる確率が結構高まるんじゃないかなと思っています。

よっぽどの金持ちとかヒモでないかぎりは、こうした感じに働いていくしかないです。この状況が変わるためには、どうすればいいのかってことで、色々な議論があるのかなと思います。例えば、何年後かにはほとんどの仕事が機械で代替できるようになってしまうそうですが、そうなったらまた状況が変わってくるかなあとか、不謹慎ですがドカンと一発、東京に大地震でも起きるとまったく別の価値観が幅をきかせたりするのかなあとも思います。

いずれにしても、もはや経済的なニーズはほとんどみんな満たされてきてしまっている。あとは、心の問題なのではないかという気がしています。そうなってくると、ゲームとか芸術とか、そっち方面に秀でている人のほうが活躍する場が増えてくるようにも思いますが、どうなのでしょうね?上のリンクでも見られるように、コンピュータに代替されにくい仕事のNo.1は、「レクリエーションセラピスト」だそうです。他の20位までのリストも、概ね心の問題みたいなものを助ける仕事が多いように思いますね。

と、まあとりとめのないことを考えていた今日でした。忘れないうちにダラダラと、覚え書き。

ジェイン・マクゴニガル氏講演まとめ②―マクゴニガル姉妹の「世界を変えて、美しく生きる方法」

2015年11月18日夜に渋谷・ヒカリエで行われた、ジェイン・マクゴニガルとケリー・マクゴニガル姉妹の講演。Tokyo Work Design Week(TWDW)というやつの一貫で行われたイベントです。

そのうち、ジェイン・マクゴニガル氏の講演についてのまとめ、続きです。

前回はこちら↓

noahp.hatenablog.com

さて、それではゲームの効果を享受するにはどうすればいいのでしょうか。どういうゲームでも良いのです。『パズドラ』でもいいですよ。なんでも良いので、5分間やってみてください。

ゲームをした後、実生活―例えば仕事の課題に取り組んだり、抜け出したい悪いクセについて考えてみて下さい。克服したい課題を、ゲームをした後のマインドセットで考えてみるのです。そうすると、驚くほどにポジティブな捉え方が出来ている自分に気づくはずです。非常に簡単な方法です。

脳を活性化する、4つの方法

ビデオゲームである必要すらありません!実生活で脳を活性化する方法は、200通り以上あります。そのうち、私の4つのお気に入りを公開しますね。

まず最初の方法は、メンタルの力を増やしたいとか、クリエイティブになりたいという時におすすめの方法です。手のひらを30秒間の間、上に向けてください。こうすると、考え方がオープンになり、よりクリエイティブになりやすいと言われています。わたし達の祖先は、ポジティブなことを考えているとき、手のひらを上に向けていました。逆に、拒否する時は手のひらは下に向いているのです。

脳は、手のひらを上にしていると新しいことを受け入れやすい状態になっているのです。実はゲームをしているときは、大体の場合において手は上に向いているでしょう?

2番めの方法は、「予測してみること」です。先読みをするのです。例えば、私の夫は今日は何色のシャツを着ているのだろう?とかです。そして予測をしたら、「さあ、合っているかしら」と、予測の答え合わせをしてみるのです。

例えば、次にケリーがプレゼンを行いますが、ケリーが何を話すのだろうとか。もしくは、そうですね、彼女が「ジェイン」という名前を講演中に何回言うか、予想してみましょうか。私は、2回言うと予想します。皆さんはどう思いますか?

予測してみてください。何だっていいのです。予測することで、脳を活性化させることができます。

3番目の方法は、「いつもと全く逆のやり方をしてみること」です。いつも右手で歯を磨くなら、左手で磨いてみる。後ろ向きに歩くのもいいですね。いつもの道とは逆の方向に行ってもいいです。

いつもと逆のことをするとき、脳は、より集中することがわかっています。脳の活性化が行われると、より時間がゆっくり感じられることがあります。集中しているときも、時間がゆっくり感じられるんですね。脳みそで感じる時間がゆっくりになることで、気持ちにもゆとりが生まれることでしょう。

4番目は、社会的なレジリエンス(回復力、耐久力)を増やすものです。お互いの社会的な関係を強化することができますよ。それは、何かキャッチボールのようなことをすることです。ケリーになにか投げてもらいましょう。(ケリーとキャッチボールを何回かして)このように、お互いに何かを投げ合ったりとかしているとき、もう一人の人が何をするか予測しています。このとき、お互いのことをシミュレーションするので、脳はお互いに鏡写しのように活性化していく効果があります。このようなとるに足らないキャッチボールでも、脳が活性化される効果があります。

こうしたことをしていくと、より活力をもって一日を過ごす事ができます。

今回出版された本の中には、様々な脳の活性化の方法が書いてあります。

 

スーパーベターになろう!

スーパーベターになろう!

 

 どういうふうにすれば、ゲーマーのマインドセットを持つことができるかについて、書いてある本なので、皆さん、ぜひ読んでみてくださいね。

 

ジェイン・マクゴニガル氏のプレゼンは以上です。

ジェイン・マクゴニガル氏講演まとめ①―マクゴニガル姉妹の「世界を変えて、美しく生きる方法」

2015年11月18日夜に渋谷・ヒカリエで行われた、ジェイン・マクゴニガルとケリー・マクゴニガル姉妹の講演。Tokyo Work Design Week(TWDW)というやつの一貫で行われたイベントです。

そのうち、ジェイン・マクゴニガル氏の講演について、ざっとまとめさせていただきます。なお、内容には意訳などを含みますので、「大体こんなことを言っていた」という感じで捉えていただけるとありがたいです。

なお、概要については以下のサイトに上がっています。

wired.jp

(内容ここから)

人は多くの時間をゲームに費やしている

ご紹介ありがとうございます。"Tokyo Work Design Week"ということをテーマに講演できるということは大変興味深いことです。デザインというのは、私は「どのように人を幸せにするか」という事だと思っています。

では、私自身を幸せにしているものについても少し紹介させてください。

現在、17億8千万人のゲーマーが、一日平均して1時間程度をゲームに費やしていると言われています。これはよく、費やしすぎだと言われていますが、そうでしょうか。

また、日本では3人に1人の人がゲームをプレイしているそうです。これは素晴らしいことだと私は思います。

また、日本人のうち30万人の方が日常的に『モンスターストライク』をプレイしています。今までに『モンスターストライク』に費やされた時間を累計すると、46,232年分の時間に相当するのです!これは、87,500人がフルタイムで労働している時間とほぼ同じです。87,500人というのは、Google社員のほぼ2倍にあたる人数ですよ。

毎年平均で、1人あたり350時間をゲームに費やしています。これは、フルタイムでの労働の約2ヶ月分にあたります。そう考えると、皆さん、「あたかも職業のように」ゲームをプレイしていると思いませんか?

以上のことを私は喜ばしい事だと思いますが、もしかすると皆さんには朗報に聞こえないかもしれません。ゲームにはネガティブな印象があるからです。私自身も、「ゲーマー」という単語にはあまりいい印象を持っていません。ネガティブな印象を与えるからです。

私はゲーマーという代わりに、"Super Empowered Hopeful Individuals" - という風に呼んでいます。これの意味するところは、ゲームをする人というのは、チャレンジが好きで、楽観的で、意欲が高く、失敗から学べるとわかっている人です。そして、他の人から助けを得られるということもわかっている人です。

(ゲームに夢中になっている人の写真を見せながら)これはゲームを楽しんでいる人の写真です。どうですか?何をそんなに興奮しているのだろうと心配になりますか?これらの写真は、自分が達成したことの大きさにびっくりしているのですよ。

ゲームをすると脳は活性化する

ところで、ゲームをしている時に脳はどのような活動をしているのでしょうか。これは脳のスキャンをした様子です。ゲームをしている人の脳を、スタンフォード大学MRI撮影をしたものなんですね。ゲームをしている時には、脳の血流が多くなりアクティブになる部分があります。ゲームをすると脳が活性化するのです。

特に活性化するのが、意欲に関する部分です。ゴールに向かって決意を持って取り組めるようになります。すべてのゲームは、ゴールを達成する事が目的です。常に、つぎのゴールに向けて走っている状態にあるんですね。

それから、チャレンジするために情報を多く、そして早く集めようとする脳の部分も活性化します。常にゲームをするときには、人は学んでいるのです。特に失敗から学びます。新しいスキル、あるいは戦術といったものを学んでいきます。

言うまでもなく、学校や仕事、健康のためにも、脳を活性化させることは非常に有用なことですから、そういったところでゲームは役に立つのです。

ゲームをどうやって現実に役立たせるか?

さて、先ほどお見せしたように、日本は社会としてゲームに対する準備が出来ている国だと思っています。ゲームのマインドセット(思考様式)を活性化することができるとすれば、それは日本人だと思っています。

93%の日本人が、仕事にエンゲージメントがない。つまり、楽観的でないと感じています。言い換えれば、仕事に意義を感じていないということです。情熱が不足している、と言ってもいいかもしれません。これにより、社会で26兆円のコストが発生しています。

また、日本人の51%の人が、「人生が成功するか否かは、大抵の場合、外部要因―つまり自分の意思や決定とは関係のないところで決まってしまう、自分たちの力の及ばないところで決定してしまう」と思っています。

ゲームでは、自分の行動できる範囲で成功するかどうかが決まっていますよね。このことを実際の生活でも取り入れられたら素晴らしいと思いませんか?

メンタルヘルス上の問題が、仕事に悪い影響があったと感じている人が84%もいるのです。ゲームフルなマインドセットを持つことが重要です。うつ病の時に活性化してしまう脳の部位が、ゲームをしているときには完全にシャットダウンしている事が分かっています。うつ病は難しい病気ですが、ゲームをしているとき、脳はうつ状態とは真逆の脳の働きをしているのです。そこで、私はこう言うのです。「遊びの反対は仕事ではない。無気力である」と。

私は良く、双子の妹のケリー・マクゴニガルと話して、ケリーから教えてもらったことを自分で作ったゲームに取り入れているのです。それをケリーに話すと、"I'm game!"と言われます。"I'm game!"とは「私も入れて!」というような意味合いで、極めてアメリカ的なスラングなんです。これは、ゲーマーのマインドセットを実生活に活かせるポジティブな言葉だと思います。

人を冒険やチャレンジに誘いたいときに使うのです。そうすると、やるわ!という代わりに、"I'm game!"と返ってきます。これこそが、ゲームが実際にはチャレンジであるという証拠なのです。ゲームをする人は、オープンマインドで、やる気があり、失敗することをいとわない、熱意を持ってやっていく人たちなのです。

ゲーマーのマインドセットを実生活に活かしていくというのは重要なことです。実生活にどのように取り入れるか、という問題に取り組むために、私は『superbetter』というゲームを作りました。このゲームのプレイヤーは50万人もいます。

ゲームフルなマインドセットを持つと何が起こるか。高い社会的な達成が得られます。ストレスにもっとより良く対処できます。うつ状態や不安が軽減されます。人との関係を、より親密にすることができます。そして、人生に意味を見いだせるようになるのです。

 

以下、②に続く。

noahp.hatenablog.com