続・のあろぐ

ゲーム、漫画、アニメで社会を豊かにしたいNoahの個人ブログ

Noahと申します

Noahです。

この度、「ブログを毎日書こう、書けなかったら罰ゲーム、書けたらいいことあるよ」という感じのゲームに参加させて頂くことになりました。期間は10/31までの予定です。

具体的なルールについては、後日紹介して他の参加者の方へのリンクでも貼っておきます。

今回は初回でもあるので、自己紹介を簡単に書いておこうと思います。

 

ゲームにどっぷり浸かってそのノリでずっと生きてきた

もともとゲームが大好きでして、子供の時から様々なゲームをやってきました。

ゲーマーには2種類いまして、「いろんなゲームを満遍なくやるタイプ」と、「好きなゲームにかなり没頭してしまう」というタイプがいると思っています。

わたしはまさに後者のタイプ。そこそこいろんなゲームをやっていると思いますが、中学、高校、大学、社会人と、MMORPGリネージュ』というゲームを一万時間ほどプレイしたと思います。

一万時間の法則というのがあるそうで、人は一万時間をかけて何かに取り組むとそのプロになれるそうですが、わたしはプロのネットゲーマーになれたかというと、なれてない可能性が高いです。このゲームでどんなことをやっていたのか、何を学んだのか、というのは話せば長いのですが、これはまた別の機会にします。

ゲームばっかりやってて高3春時点で偏差値が40しかなかったのですが、ネットゲームのレベル上げの手法を大学受験勉強に取り入れることで偏差値を秋までの半年で70ちょいまで上げ、志望校にはなんとかA判定を出しつつ合格、大学受験を乗り切りました。

ゲームと経営

大学時代には(ネットゲームやりながら)経営学と金融政策について専攻していました。ゲームが好きな特性を活かして、主に任天堂について調査を行っていました。当時はDS、Wiiの全盛期で、会社四季報には任天堂は「わが世の春」と表記されていたのをよく覚えています。

ゲーム業界というのは、経営的に見てかなり面白い題材となっていると感じていました。というのは、

①ゲームはニーズが見えにくく、「面白さ」という不確定なものを売っているビジネスであるがゆえに、製品に関して絶えず新しい遊びが生み出されている、極めてイノベーティブな業界である

②ゲーム単体ではなく、ソフトウェアとハードウェア(ゲーム機など)の組み合わせによりビジネスを行っている業界であり、「ネットワーク外部性」という効果を重視する必要がある

③クリエイターの才能や個性を発揮させなければ面白いゲームが発現せず、カリスマと呼ばれるクリエイターや経営者がとても多い

④ゲームの面白さは単に描画性能などの技術力を向上させることとは別問題であり、ゲームの構造について考える必要があり、「どうやって面白くするか、人をモチベートするか」というノウハウは、他のことに転用するとき極めて有用な効果を発揮するであろう

などなどの魅力があるからです。

わたし自身は、大学の卒論では、キャラクターやゲームの仕組みなどのコンテンツを各企業、特に任天堂スクウェア・エニックス等の大企業がどのように活用しているか、ということをテーマに執筆を行いました。

具体的には、ファミコン時代から現代まで、各社の出したゲームタイトルを全部リストにし、その内容についてわかる範囲で、「続編(マリオ2など)」「キャラクター資産の活用(マリオテニスなど)」「完全新規タイトル」などにすべてのタイトルを分類しました。すごく大変でした。

どのゲームが売れるかわからないなかで、過去に売れたコンテンツをいかに活用するかは非常に重要な視点になります。こうした整理を通じて、各企業が年代ごとにどのような姿勢でコンテンツ資産を活用し、または生み出しているかを体感しながら論文を書いたのですが、肝心のデータはどっか行きました。たぶん大学にはある…?

そして就職へ

こうしたことを行いつつ、上にも挙げた某ゲーム会社に内定寸前まで行ったのですが、親に猛反対をくらいます。

ここでは、どんな形で反対をされたかは伏せますが、当時はちょっとこれを乗り越えて就職するのが無理だと思うような内容でした。

ちなみに親の反対理由は「戦争になったらゲームどころではないから」という理由で、当時もおお…戦争…なるほど……?って感じであったのですが、なかなか押し切って就職することができなかったのは当時のわたしの弱さでしたねぇ。一番難しいのは理詰めでの話し合いのきかない相手をいかに納得させるかだなあというのをしみじみ感じます。

といった感じでゲーム会社ではない会社に就職することになったのですが、文字数も長くなってきたので一旦ここで切って、今やってる活動などの続きは明日にします。

続きはこちら。

Noahと申します(2) - 続・のあろぐ

 

最近読みたい本です↓ 

 

 

「成功のための式」に関するメモ

昨日ランチでちょっと話題になったこと
「チャレンジ回数×成功確率=成功(回数)」という式について

論点1
・「成功」の定義は人によって違うはずだが、あまりにも成功を定義するためにかける時間が少ない。
・自分の感情を羅針盤にすべき
・感覚的には成功を定義できれば半分の作業が終了している

論点2
・成功確率を改善せずに、とにかくチャレンジするのは愚の極みである一方で、「5回やれば9割の確率で成功するのに、4回でやめてしまうなどチャレンジ回数が少なくなるケースもある」。
・ただ、特に大企業は余裕があるので、前者の「とにかくチャレンジ」が多くなる。スタートアップなどでは少ない残資金でかならず当てるプレッシャーがかかるので、成功確率を改善するインセンティブが高い。

論点3
・チャレンジ回数を重ねているとき、仮にPDCAサイクルが回っていれば、成功確率は改善する。一方、PDCAしていなければ、成功確率は不変である。
PDCAは「問題を解き、答え合わせをし、間違い直しをして、もう一回解いてみる」というプロセス

他にも色々この式で言えることはありそう。忘れないうちにメモ(受験勉強との関連の話やゲーミフィケーションとの関連も出てたけど忘れた・・・)

ブログを時々書いていきたい

最近はポケモンGOを一生懸命やっています。

どうしてもブログを書こうとすると、まとまったことでうまいことを書かなきゃ書かなきゃという思いがあるのですが、一方で同じようにネットで大公開しているTwitterでは適当なことばかり書き散らしているわけです。

ならば長文になりそうな連ツイとかは別にTwitterじゃなくてもいいんじゃないか?という感じもするので、ブログの方も気軽に更新していこうかなと思っています。よろしくお願いします。

なぜブログを書くのが面倒なのか

ちょっと思ったのが、Twitterだと気軽にかけるのにブログだとちょっと身構えてしまうっていう現象って、どのへんから起こるものなんだろう、ということなんですよね。

まず第一に、Twitterは140文字しか書けないということもあって、「論理展開していく」ということが難しいです。多分3~4文ぐらいしか書けないし、その辺りがブログで記事を書くのをためらわせるのかもしれませんね。

あと、直ぐに反応が来ないですよね。しかも軽めの反応がない。Twitterとかだと、投稿すればすぐいいね!がつくので、投稿するインセンティブになっているのかもしれません。この辺はFacebookでも共通ですよね。

それから長文を書くときはどうしてもキーボードがいるなあ、と思ってしまって、スマホで気軽にブログを書こうという感じではなくなってしまう点もありますね。

ということは、これらをうまく解消したブログサービスがあれば一定の強みはあるのかもしれないなあ、と思うのですが、そこまでしてブログで文章を書く意味がありませんね。

ブログで文章を書きたいという話だったはずがいつの間にかブログで文章を書きづらい理由という話になってしまった……

余談

あと最近Yogibo Maxというクッションを買って家に置いたのですが、マジで快適。これの上に寝てニコニコでアニメとかを見てくつろぐともう完全に極楽でしかないですね。 

色はいろいろあって、自分はライムグリーンにしました。人をダメにするソファ(クッション)みたいなもので、あれよりも大きくてへたりが少ないそうなのでとてもよさそうです。

生活のなかの資本装備率を上げたいという話

資本装備率
しほんそうびりつ
capital equipment ratio

労働量に対する資本量の比率。正しくは労働の資本装備率,あるいは資本集約度という。資本装備率は個別企業としても,また産業別にも,あるいは国民経済全体としても計測されるが,いずれにせよ雇用労働者数を L ,資本設備額を Kとすれば,この比率は K/Lとして表わされる。

 時々思い出したようにブログを書いてみる。

生活の改善

初っ端から難しいことを書きましたが、要するに「生活の効率を上げたい」ということだったりします。
パフォーマンスというのは「時間」×「生産性」だと思っています。
昔、母校の高校で補習の講師とかをやっていたのですが、そこでもぼくはこの話ばかりしていました。
時間は平等に1日24時間が与えられていますが、生産性は平等ではないのです。
ここでいう生産性とは、1時間かけた時に生み出される成果のことです。人間、なるべくなら時間をかけずに成果をあげたいじゃないですか。ぼくは生来なまけもの気質なので、「時間」×「生産性」で成果が出るのであれば、どちらかと言うと生産性の上昇に特化していきたいと思うタイプです。

ゲームと改善

割とゲームなどでもそれが出ていて、というか、むしろゲームで養われた癖なのかもしれません。ゲームでは、少し装備を変えたり探索の方法を変えるだけで、劇的に経験値を稼げる量とか、ゲーム内でお金を稼げる量が変わってきたりするのです。ぼくはこの改善をやっていくのが、もう心から楽しすぎてゲームをやっていました。

完全に余談ですが、ゲームのブログを見ていると、結構な割合でこうした改善を楽しんでやっているような気がするんですよね。中にはどのくらい効率が改善したのかを定量的に計測したりとか、ゲーム界隈には改善することがこの上なく大好き、みたいな人がたくさんいます。ゲームと現実の境目をなるべくなくしていくと、こうした人達が改善について一生懸命考えてくれるので非常に良いと思うんですよね。こういう気質をかなり持って現実に出てきている方に、勝間和代さんがいらっしゃると思います。あの方も相当な改善オタクですよね。

社会人と改善

さて、ここからが本題なのですが、社会人として生活をしていると、とかく時間がありません(ブログ書いてる暇はあるのにね)。そこで、「仕事の時間を短縮しつつアウトプットを変えない」とか、「プライベートの中でも雑事に追われる時間を減らし、本当にしたいことに集中する」という観点が非常に重要になってきます。

または、こういうこともあります。仕事を深夜までやっていると、どうしても疲れが週末に溜まってしまい、土日のうち半日ぐらいは寝るだけになったりとか、経験ありませんか?

こうしたことを減らしていけば、かなり自分の時間が増えるはずです。そのために金は惜しんではいけません。

まず、休息の改善をはかっています。とりあえず、入浴が疲労を回復するポイントになっているので、それを改善したいと思いました。時間あたりの疲労回復度をあげたい、ということですね。
そこで、入浴剤をとりあえず導入し、お風呂環境の改善を図っています。

ほかにもせんべい布団で寝ていたのを結構いいベッドにしたりとかやってるのですが、最近はちょっと行き詰まり中です。

お金をかけても、なかなか時間を短縮したり、生産性を上げられるような投資が見つからないのです・・・今の日本社会と似ていますね。
ということで最近購入検討してるのはルンバぐらいなのですが、他にこういうのがあったらより生産性があがるよ、みたいなもの、ありますかね?

ちなみに一番直近で買ってみたのはマウスパッドです。滑りがいいやつにして、手首が疲れないように。

 

というのが最近の悩みごとだったよ、という話でした。

運とかオカルト的な話

今日髪切りに行った時、美容師さんとツキとか流れとか運とかまあオカルト的な話になった。

自分はそういう「運を引き寄せる力」だの、「場所」だのっていうのを霊的な意味で信じているわけではないんだけど、例えばパワースポット一つとっても、まだ(ここ重要)人間には理解できない何かが働いた結果、そこがパワースポットとして運気を上げてくれるポイントになっている、と思うわけですよね。

要するに、何かあるんだと思うわけですよ。あんまり、そういうのばかりに傾倒してもいけないけど、例えば麻雀打ってても、ある席の人がつきまくることがあって、あれは多分全自動とはいえ牌の偏り、みたいなものが生まれるからなんじゃないかと思っているんだけど、それと同じようなことが世の中には沢山あるんじゃないかな、とか思うわけで。

逆もありきで。

先日、引越し先を探していて物件を見に行った時に、築30年ぐらいかな、そこそこ古いアパートというかマンションを見に行ったんです。

そこ、結構家賃が安くて。不動産仲介業者も「この広さにしてはワンランク安い」「もっと家賃を高く設定できる」とか言うわけです。でも家主さんはどうやら家賃をある程度下げてでも早く入居してくれる人を探していたと。

あれ?なんか変だな?と思いますよね。変だと思うと止まらなくてそれが加速しだすというか。どうもこの部屋、リフォームして確かに表面上綺麗になってるけど、やっぱりところどころ古い。なんか微妙だ。

事故物件じゃないですよね?と何度も聞いたし、大島てるっていう事故物件サイトとか見て調べたけど、別に事故物件ではない。でも、なんだかすごく嫌な雰囲気がするわけですよ。

窓を開けて外を見る。すると神社が見える。夜に見に行ったので、薄ぼんやりと神社のようなものに灯りがついていて、どことなく薄気味悪い感じ。んー?なんか変な違和感があるな、と思って違う部屋の違う窓を開ける。

そこもまた神社がある。

つまり、このアパートは神社にわりと囲まれているのか。そう気づいた時にすごく微妙な雰囲気になって外へ出た。

一緒に見に来ていた友人はオカルトとか一切信じない系と自分で言っていたけど、「いや、あそこはやめといたほうがいいんじゃない」とボソリ。いて十数分で嫌な気分になるんだから、住めないよ、と。自分もそう思った。

で、あとで気になって、あの神社、何かいわれがあるのか?と思って調べてみたんですよね。

そしたらね、祀っているものがね、

貧乏神を祀ってたんだよね。

なんでそんなものを祀っていたのか、さっぱりわからない(※さらに気になって調べてみたところ、願掛けをして貧乏神を一旦家に招き入れ、ある日になったら追い出すと貧乏神と縁が切れると言われているらしい。それは劇薬注意だわ……。)んだけど、なんとなく得体が知れないのでやめてしまった。

まあ、わからないんですけど、人間って色々カンが働いたりとかするときってなんか理由があったりするもんなので、直感みたいなものにはある程度従って生きたらいいんじゃないかな、とは思うわけですね。

人工知能が知的労働を肩代わりしてくれたら、最後に残るのはそういう動物的な直感というか、得体のしれないものを感じ取るちからじゃないのかなあ。良いものも、悪いものもね。

だから僕はわりと縁起とかそういうのは気にしちゃうタイプですね。そんな話でした。

星新一の思い出

はじめて自分で一冊読みきった小説は、5歳か6歳のときに留守番をしていたときに父親のを拝借して読んだ赤川次郎の『セーラー服と機関銃』だった。
星新一を読んだときはそれ以上のインパクトを感じた。確か小学3年生のときだったと思う。
そのあと、何冊も何冊も読んだ。当時通っていた塾に貸し出し図書コーナーのようなものがあり、そこで何冊も借りて読んだ。おそらくは、全ての星新一作品を読破したと思う。新潮文庫の黄緑の背表紙を見ると今でも不思議な感覚に陥る。
星新一の何がそんなに良かったかといえば、そのニヒルな世界観と、さくさく読める手軽さ、さらっとして知的な文体、落語のような秀逸なオチのつけ方、どれを取っても自分にとっては最高だった。
というわけで最近また読んでいる。Kindleで今は読める。星新一の夢想した時代に、また一歩近づいているのかもしれない。『ボッコちゃん』『きまぐれロボット』と読み進め、いまは『妄想銀行』を読んでいる。やはり今読んでも秀逸だ。子どもの時の僕はこれをどのように読んでいたのだろう。

そんなことを考えているうちに、ふと昔のことを思い出した。地元の箱根そば星新一の本を読みながらうどんを食べていた。母親は席を外していたように思う。小学4年生ぐらいのときのことだ。
向かいの席に中年から初老ぐらいだろうか、スーツを着た優しい紳士のような雰囲気の男が腰かけて、「こんにちは」と言った。その瞬間、この人は星新一かもしれない、と思った。小説についている顔写真よりは見た目若く見えたが、よく似ているように思った。
ただ、どう考えても本を読んでいる子どもにいきなり声をかける中年男性はあやしい人なので、当時の僕は何も返答せず、会釈のみ返した。
その後すぐ母親が戻ってきて、特段何も起こらなかったしその紳士もどこかに消えていた。

その何ヶ月か後に、星新一が亡くなったとニュースで見た。
あの紳士が星新一であった可能性はほぼゼロに等しいと思うが、もし星新一だったとしたら、そりゃ自分の書いた小説を子どもが夢中で読んでいたら、声のひとつもかけたくなるだろうな、とは思う。
なんか星新一でない可能性の高い人間に星新一への思いを馳せている気がするが、とにかく僕の中では星新一は偉大な存在であり、明らかに僕の人生観の一部(と、もしかしたら文体の一部)は、星新一の作品でできているのである。

目標を達成して成功する技術について、3つのポイント

新年なので目標を新しく立てて、それに取り組もうとしている人も多いと思います。

しかし、新年の目標というのはとにかく崩れやすい。いや、人生そのものの目標もとにかく達成しづらく、なんでいつもこうなっちゃうんだろう?という方も多いのではないかと思っています。

私もそうなのですが、幸いにして(?)私の周りには、多くの「目標を立てて、それを着実に実行している人」がいます。その人達を見ていて、自分なりにどのようにすれば目標が達成されて成功できるのか、について考察してみます。

1.目標を達成可能なものにする

いきなりなんだよ、当たり前だろうと思われるかもしれませんが、例えば「今年中に1兆円稼ぐ」とか、絶対無理(であろう)と思われる目標というのも存在するであろう、ということを考えると、やっぱり達成可能な目標の程度というのはあるわけです。

そういう意味で考えておかなければならないのは、「1年スパンの目標は忘れがちである」という事実です。1年後にどうなっていたいか、ということは立てたほうが迷走セずに済むとは思いますが、長くても1ヶ月単位ぐらいでの目標というのも、1年の目標をブレイクダウンする形で立てておいたほうがいいでしょう。

2.行動して失敗する

これも当たり前だろうと思われがちですが、みんな行動しないんですね。なぜ行動しないか。これは最初に挙げた「目標を立てる」こととも関連しています。目標が大きすぎて、まず何をやったらいいのか、がはっきりしなくなるのです。もしくは、目標に関連しないようなことばかりやって、勇気を出してがっつりと目標に関連することを避ける。例えば「今年は大型資格を取る」ということを決めたとしても、最初に何をやったらいいのかわからない。そこに至るまでの道筋がわからなくなるので、結果的にやる気をなくしてしまう。目標が漠然と「成功する」とかにしていても、何が成功かをしっかりと明らかにしておかないと、「まずは毎朝走ろう」「まずは筋トレをしよう」などのように、「単に何か努力をすること」という方向に向かっていってしまいます。重要なのは、目標に直結しているような行動を取ることです。失敗する人は目標をコロコロと変更し、目標に直結しないようなところでウロウロし、クヨクヨと悩んでいます。

重要なのは失敗してもいいから行動して、その結果として失敗のパターンをとにかく収集することなのです。ただし、死んでしまうような大失敗は避けるということは大原則。

3.失敗を二度と繰り返さないようにする

最後のポイントが一番重要だと思います。失敗を繰り返さなければ、同じ失敗をしなくなるということです。目標を立て、それに向かって行動し、そこで失敗したことは二度と失敗しないようにして行動する。このことが、成功している人は綺麗な形でサイクルとして回っていると感じます。

これは、実は大学受験とか、勉強でも同じことがいえます。いくらやっても成績が伸びない人は、明らかに同じ問題で間違いを起こしています。逆に成績がグイグイ伸びていく人というのは、合ってる問題は気にしません。間違った問題のみを収集して、徹底的に間違えた理由を確かめ、反復練習し、次は絶対に間違えないようにしています。大学受験だけではなくスポーツや音楽などでもそうでしょう。このように、「失敗を繰り返さない」ためのトレーニングをいかにして積めるかというのは、成功の大きな鍵となっているように感じます。

まとめると、

1.目標を達成可能なものにする

2.行動して失敗し、失敗を収集する

3.失敗を二度と繰り返さないようにする

ということが重要です。いずれにせよ、楽しんでやらないことには続かないので、ワクワクするような選択肢を自分で用意していくことが大事かなと思います。

では、このためにどうすればいいのか?ということを、もし時間ができたら又の機会に書いてみたいと思います。